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日蓮大聖人・池田大作

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李国章香港中文大学学長 「インターネット時代」の人材育成を推進

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
4  「大学に奉仕」の理想に身を投ずる
 李先生が香港に戻られたのは一九八二年、三十七歳の年である。
 「私は『教育』を生涯の事業として選んだのです。中国人の大学に奉仕したいという理想に身を投じたのです」
 イギリス人のダイアナ夫人をともなって、一家をあげての帰郷である。
 当時、すでに国際的に著名な外科医であった。外科の「上級専任医師」になったのが二十九歳。イギリスで最も若かった。奨学金を得てアメリカに渡り、ハーバード大学では研究のかたわら、教鞭も執った。
 しかし、どうしても香港に貢献したかった。「香港中文大学が医学部を創設し、外科医を求めている」という知らせがあった。返還前の「揺れる香港」であったが、だからこそ帰ろうと決めた。
 名門の李家は、もともと「仁」を重んじ、「人のために奉仕すること」を家風として、幾多の人材を輩出しておられる。
 帰国した李先生に香港のジャーナリストから意地悪い質問があびせられた
 「あなたは欧米での教育が長く、中国文化の素養に乏しいのでは?」「中国人の心がわからないのでは?」
 李先生は三歳から学んだ唐詩・宋詩をそらんじて、記者を黙らせたそうである。
 東西の教養を身につけた学長は、こう評されている
 「中国人らしく非常に謙虚で包容力がありながら、西洋人のように何ごとに対しても勇敢に取り組み、向上しようという志を兼ね備えている。ゆえに臆することなく大任を成功に導いてきた」
 お会いしてみて、まったく、そのとおりのお人柄である。
 明るい声と明るい瞳で、笑みを絶やさず、精力的な話しぶり。語らいのたびに、次々に質問をしてこられる。多くのことを「知っていこう」「学んでいこう」という謙虚さと積極性が全身から発散している。
5  正しい知識の「学び方、考え方」を教えよ
 一九九六年、香港中文大学の第四代学長に選出された。
 九九年の「発展計画」では、学長は「本学は『教師が何を教えたいか』ではなく、『学生が何を学びたいか』に方針を転換する」と宣言した。
 たとえば、社会のニーズに合わせた新たな教育コースを、次々と開設しておられる。
 「過去の教育方法は、学生に情報を提供し、知識を授けるだけでした。ところが今は、情報が欲しければ、インターネットで、いくらでも手に入れられます。学校に行かなくても、ベッドの上に寝そべりながらでも、コンピューターのスイッチを入れればいいのです。情報は増える一方ですが、問題は、何が『役立つ情報』で、何が『ゴミ』なのかを見分けることです。その判断力・分析力を学生が養えるようにしなければならない。そのように、大学は教育改革訟をしなければならないのです」(「中大校友」1999年冬季号、参照)
 これも創価教育の思想と通じる。牧口先生は「教師の本務」は「知識の切り売り」ではなく、どうすれば正しい知識が得られるか、その「学び方、考え方」を教えることにあるとした。
 すべて「あらゆる子どもが一生、幸せに暮らしていけるように」という慈愛から出た教育学であった。この点でも、〈慈愛と技術の結合〉である医学と共通する。
6  医師が治療を間違ったら、人を殺してしまう。
 間違った教育も人を殺す。魂を殺す。頭脳を殺す。社会の未来をも殺してしまう。医学のように、ただちに目に見えないから、その怖さ、大事さに鈍感になりがちなだけである。
 思えば、中国革命の先達・孫文先生も医学を学んだ。魯迅先生も医学を学んだ。
 そして、社会の病を「治療」し、人々の魂を「蘇生」させる革命に生涯を捧げた。それは、広い意味での人間教育の事業であった。
 そして孫文先生は「私は革命を香港で習った」と言われた。
 今、その香港から、世界的名医である李学長が、蓄えに蓄えた渾身の力で「教育革命」の波を起こしておられるのである。
 日本の社会は――いつになったら謙虚になるのだろうか。
 「子どもを救え!」「現場教師の宝の体験を聞け!」――いつになったら、牧口先生の叫びに耳をかたむけるのだろうか。

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