Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第95回本部幹部会 常楽我浄の人生を

1967.12.24 「池田大作全集」第3巻

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2  次に、来年の元旦から、幹部はもう一度「百万遍の題目」を唱えていくことにしたいと思いますがいかがでしょうか。(拍手)題目は本人の自覚で行なえばよいことですが、一人ではともすると惰性に流される場合があるし、全員で目標を定め、
 自分自身の成長のため心新たに実践していくのがよいと考えてこのように提案するしだいです。やはり題目を数多くあげている人には後悔がありませんし、諸法実相としてその人は妙法の功徳に輝いています。いくら幹部であっても真剣に唱題しない人、要領よく組織の中を泳いでいる人は、それ相応の諸法実相に終わっております。人がなんといおうとも他の人がどうあろうとも、私どもは一つの目標をつくり、それに向かって勇往邁進していこうではありませんか。(拍手)
 これからは不景気になってくる様相が感じられます。しかし現実は厳しくとも、皆さん方はそれに負けず、立派に生活を繁栄させていける信心即生活をしていただきたいと思います。世法のほかに仏法はなく仏法のほかに世法はありません。信心即世法です。したがって、この原理を本当にわきまえて実践し、円満なしかも正しく強い人生を送っていける人が成仏できるのです。信心しているから生活はどうなってもいい、自分は学会の幹部だから権威を使って後輩を動かしてもいい――そうした考えは大なる過ちです。世法・社会のほかに仏法はない。また仏法は社会全体のなかにあります。仏法の指導者は即社会の指導者であります。反対に本当の社会の指導者になれば、それは即仏法の指導者としての資格を備えたことになります。
 われわれはその根本の仏法を知っています。このことを再確認して社会を大事にし、社会の指導者に成長していく戦いをしなければなりません。
 ともあれ、甘い考えでは社会の厳しい荒波を一歩も乗り切ることはできえない。詮ずるところ仏法は勝負です。おのおのの境遇で現実を勝ち切っていくことが、広宣流布の一歩前進であり、各自の人間革命の一歩前進の実証になるのであります。世間にはあまりにも思いあがりの人が多すぎます。また世間はテクニックの人生であり要領主義の人生です。しかし、仏法の鏡に照らしてみるならば、その人の本質は、信心という根本の解決法がないゆえに、いつかは花がしぼんで寂しい自分を見い出すことになるでありましょう。世間の人生は根無し草であり諸行無常です。これに対し、私どもには仏法の真髄である御本尊があります。したがって私どもは諸行無常です。これに対し、私どもには仏法の真髄である御本尊があります。したがって私どもは諸行無常ではなく常楽我浄の人生です。世間の人が遊んでいるときに私どもは日夜折伏に指導に戦っております。これは大変なことでありますが、それによって日々生きがいを感じ、また永遠に崩れぬ福運を築いているのであります。
 どうか信心強盛に、常楽我浄の人生、衆生所遊楽の人生を実感として体得していっていただきたい。(拍手)創価学会の私どもこそ最も正しい、最も価値ある、そして最も有意義な人生を闊歩しているのだと確信して、来年もともに伸びのびと一歩前進をしていこうではありませんか。(拍手)どうかよい年をお迎えになってください。なお支部員の方々、部隊員の方々にも、よろしくお伝えいただければ幸甚であります。来年の一月の幹部会のときに、再び元気にお目にかかりましょう。(拍手)

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