Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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中国本部幹部大会 広布の新しき潮流に

1967.8.26 「池田大作全集」第3巻

前後
6  最近ある外人記者がインタビューにきて、学会はなぜこのように大発展したのかと質問してきました。私はこれに対して、次のように答えました。それは、道理、文証、現証の三証という尺度にかなっているからです。すなわち経文上、哲学面、現実生活の証拠、この三証であります。もし、この裏づけがなければ、たとえ一時的に大発展しても、やがて線香花火のように消滅していくでしょう。だが、創価学会は二十年間、微動だにせず、発展に発展を重ねています。しかも、その根本としている教理が、深遠な哲学であって、ことごとく道理にあっています。世間の仏教学者といえば、わけのわからぬ言葉を並べ、それがあたかも深遠なもののようにごまかしているが、そんなものは言葉の遊戯であり、観念の遊戯にすぎない。真に生きた宗教、生きた大哲理であり、大哲学であるならば、その言葉も内容も、最も簡明でなくてはならないわけです。ある哲人のいわく「真実の言葉は、簡単なり」と。偉大にして深遠なる生命哲学こそ、あらゆる人々を心から納得せしめ、また、現実に信仰すれば生命力が強くなるからであります。
 これは疑うことのできない明白な事実であります。信心していけばいくほど、いいしれぬ力が生命に清水のごとくこんこんと湧いてきます。わが生命が躍動し、喜びと希望に満ちてきます。そうでなくして、どうして学会員のあの美しい清浄な目の輝き、喜々とした姿があるでしょうか。なんといっても大事なのは現証であります。日蓮大聖人も「道理証文よりも現証にはすぎず」と仰せのごとく、現実の生活にはっきりと証拠が出るものです。どんなに美辞麗句を並べても、現実に証拠の出ないような宗教に、誰が魅力を感じてついてくるでしょうか。
 大略、以上のことを申し上げたところ、その外人記者はひどく感銘をうけた様子でありました。つらつら世間を見るとき、この文証、理証、現証の三証の方程式にもとづいた団体を見いだすことはどこにもできません。わが創価学会という一個の生命体には、日蓮大聖人の言々句々がことごとく生き、偉大なる生命哲学も大御本尊の偉大な功徳も、すべて充満しているのであります。したがって、この創価学会という和合僧を破ることは絶対にできない。しかも、広宣流布の時がきております。わが創価学会が、さらにさらに発展し、日本を担い、日本の潮流となることは、まさに水の高きより低きに流れるがごとく、必然の事実であると訴えたい。(大拍手)皆さん方もそう確信していると思います。(拍手)
7  最後に妙心尼御前御返事にいわく「このまんだら曼陀羅を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく・子ををやのあいするがごとく・いをの水をたのむがごとく草木のあめねがうがごとく・とりの木をたのむがごとく・一切の仏神等のあつまり・まほり昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」と。
 すなわち、大御本尊を身に持っていくならば三世十方の諸仏、諸菩薩、諸天の加護は絶対であるとの大聖人の御金言であります。創価学会には三世十方の仏菩薩の照覧があります。また、皆さん方一人一人にも、同じく諸仏、諸菩薩、諸天が照覧しております。大御本尊を持ち、冥の照覧を確信している人の幸福は絶対であり、誰人であっても、その幸福を奪い取ることはできない。
 どうか皆さん方は、どんなことがあっても大御本尊の偉大な功力を信じ、お子さま方に立派にバトンタッチするまで、明るく、健康に留意して、力強く前進していただきたい。そして、中国一、日本一、世界一の幸福な家庭の実証を示していただきたい。(大拍手)
 最後に、くれぐれも体を大事にして、一人も事故なく、元気はつらつとした日々の活躍であられんことを心からお祈り申し上げ、私の話を終わらせていただきます。(拍手)

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