Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北海道本部幹部大会 新時代の開拓者に

1967.8.21 「池田大作全集」第3巻

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5  最後に、御書の一節を拝読したい。法華初心成仏抄にいわく「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏のさとりの妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、たとえば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ、されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり」と。
 この御文は、依正不二の原理を仰せられたものであります。まず南無妙法蓮華経は、梵天・帝釈・舎利弗・目連・文殊・弥勒、否、三世十方の諸仏の仏性の本源であります。したがって、ひとたび大御本尊に題目を唱えていくならば、一切の仏・一切の法、あらゆる森羅万象の法、一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・賢人・智人、さらに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、一切衆生の心中にある仏性、すなわち大宇宙の、ありとあらゆる現象の奥底の仏性をば、ただ一音に呼びあらわしていくことができるとの仰せなのであります。よって大御本尊を信受し、妙法を唱える人の生命には、無量無辺の功徳が充満し、大宇宙の一切の働き、太陽であれ、月であれ、衆星すなわち無数の星であれ、草木であれ、社会であれ、隣人であれ、魔王・魔民たりといえども、その人の幸福へと働いていくのであります。たとえば、籠の中の鳥が鳴けば空を飛ぶ鳥が、その鳴き声に応じて、集まってくるようなものであるとの仰せであります。また空を飛ぶ鳥が集まれば、今度は籠の中の鳥は、外に出ようとするようなものであります。
 「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」とは、南無妙法蓮華経と唱えれば、己心の大御本尊が湧現します。すなわち、わが生命の仏界が湧現し、五体が躍動するということであります。それに呼応して、今度は、大宇宙の梵天・帝釈の仏性が呼びさまされて、われわれを守護するのみならず、三世十方の仏菩薩の仏性も呼ばれて歓喜するというのであります。三世十方の仏は、ことごとく南無妙法蓮華経によって成仏した。ゆえに、南無妙法蓮華経こそ、三世諸仏の出世の本懐であり、一切衆生の皆成仏道の妙法であるとの御文なのであります。まことに深遠な生命哲理であると共に、ありがたい仰せであると思うのであります。
 妙法を信受したわれわれの生命は、仏界に輝き、そして依正不二の原理によって、われらの住する一切の環境をことごとく常寂光の世界へと変えていくことができます。すなわち、具体的には、生命のうえに、生活の中に、家庭、社会等々あらゆるものを幸福へと働かせていくことができるのです。皆さん方は、この御文を強く深く確信して、信心に励んで幸福になってください。(拍手)そして、大御本尊を胸中にいだいて、いかなることがあっても諸天の加護を堅く信じ、さらに力強く、朗々と題目を唱え、毅然として、明るく、勇ましく、自らの人生を切り開いていただきたいことを、心から念願して私の話といたします。(拍手)

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