Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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男子部幹部会 信心の大指導者に

1967.4.1 「池田大作全集」第3巻

前後
7  それで、当時私は“よし、もう戸田前会長と離れるわけにはいかない。そばにいつもいなければならない”と決意したのです。戸田前会長は軍部の弾圧をうけ、学会も弾圧されました。そして滅亡にしたとき、終戦になり、戸田前会長は牢を出られたのです。それから見栄も外聞も捨てて、不幸の人々を救うために戦ってこられたのです。だが戸田前会長が戦っても批判ばかり盛んで、仏法はなかなか弘まっていかなかったのです。しかし、大聖人の仏法、御書のなかには「大地を的とするなるべし」と、必ず広宣流布ができることが述べられています。
 当時の評論家の多くは、仏法を知らないにもかかわらず、この大聖人の仏法を“中世の宗教だ”と批判しておりましたが、キリスト教などは、もっと以前の宗教であり、そのキリスト教が、アメリカであろうが、欧州であろうが、西洋の文明の基盤になっております。真実の宗教、そしてまた仏法の真髄は、時代にかかわらず、永遠不滅の原理なのです。あとはその応用であり、価値創造であり、そこから花をたくさん咲かせていくのです。その「大地を的とするなるべし」という大聖人の仰せに、間違いはないと、恩師は確信しきっておられた。その恩師の確信、信心を、今度はどのように時代に生かしきっていくか、私はそれを実践してきたのです。
8  世間がなんと批判しようと、大聖人は末法の御本仏であります。釈迦、天台、伝教が厳然と、そのご出現を予言しています。またその哲理にしても、時代にかなった哲学であり、世界最高の色心不二の哲学ではありませんか。いま、唯心主義と唯物主義がみにくい藤を重ねていますが、大聖人は七百年前に、色心不二の生命哲学を根幹とすることを教示されているのです。道理のうえから、時代の趨勢から大聖人の仏法に間違いはない。それを虚妄にしてはいけない。したがって行き詰まったときには、この根幹に戻って、末法の御本仏日蓮大聖人の弟子であり、御聖訓は絶対に間違いないという大確信と情熱をもって進んでいこうではありませんか。(拍手)
 諸君は、今後、壮年になり、老年になって、広宣流布の長い旅路の指揮をとっていかなければならないし、そのさいに、この確信を、脈々とした一念の流れにしていっていただきたいのであります。(拍手)どうか諸君は、大聖人の子供であり、王子であるという誇りをもっていただきたい。そしてまた次の七年間、思う存分に、おのおのの境遇、おのおのの立ち場で、この使命を自覚して、明るく楽しく、見事な同志の団結をつくって前進してまいりましょう。(拍手)諸君の健闘、そしてまた健康を、心からお祈り申し上げて、私の挨拶といたします。(拍手)

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