Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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男子部幹部会 信心の大指導者に

1967.4.1 「池田大作全集」第3巻

前後
6  私は戸田前会長のもとで戦ってきました。諸君も私のそばで戦っていければいいけれども、いまはそんな時代ではありません。遠くであっても、近くであっても、信心のある人は、おのおのが使命をもって、合理的に、民主的に活躍していく近代的な方程式を、私はつくっております。最も近代的で、最も合理的で、価値的な世界をつくっており、学会は時代の先端を行っているのです。私は学会再建当時、朝な夕な戸田前会長のそばにいましたが、それは幸福といえば、非常に幸福であり、また大変といえば、大変でありました。私は諸君には、むしろ大変でないようにしてあげたいと思っています。
 戸田前会長の偉大さは、世間では、なかなかわからなかった。最期にいたるまで批判の連続でした。私は、恩師ほど力のある人、人間的な方はいないことを、よく知っておりました。そのときの社会は、見栄っ張りの指導者ばかりで、病気でくるしんでいる人、貧乏人など、社会の日陰にいる人間を、遠ざけてしまい、そうした人たちを、本当に救おうとする人などは、一人もおらず、見向きもしなかった。戸田前会長は、ご自身の事業をしながら、日蓮大聖人の仏法によって、見栄っ張りの指導者と戦い、その不幸な人々を救っていったのです。これほど尊い偉業はないと確信します。
 会社なども、悪い人はやめさせてしまうし、かたわの人などは採用しないでしょう。本当に不幸な人々に、救いの手をさしのべもしないで、一流の指導者ぶっている人が多い。こんな不合理なことはありません。本当の指導者というのは、かたわの人であろうが、どんな人であろうが、不幸な人を、どのように守ってあげ、幸せにしていこうかを考え、実践している人です。これが真の人間性でなくてはならないし、指導者の資質であると思いますけれども、どうでしょうか。(拍手)今日は、すべて矛盾の世の中です。私は資本主義がいいとか悪いとか、あるいは共産主義、社会主義がいいとか悪いとかは、次元が違うからいいません。私は大衆福祉を根底とし、大仏法による中道主義を貫きます。相対的ではなく、絶対的な立ち場から一人一人を救っていく、無血平和革命を行なっていくものであります。ゆえに王仏冥合の戦いは流血革命や暴力的デモなどのような大衆を犠牲にする矛盾はないのです。
7  それで、当時私は“よし、もう戸田前会長と離れるわけにはいかない。そばにいつもいなければならない”と決意したのです。戸田前会長は軍部の弾圧をうけ、学会も弾圧されました。そして滅亡にしたとき、終戦になり、戸田前会長は牢を出られたのです。それから見栄も外聞も捨てて、不幸の人々を救うために戦ってこられたのです。だが戸田前会長が戦っても批判ばかり盛んで、仏法はなかなか弘まっていかなかったのです。しかし、大聖人の仏法、御書のなかには「大地を的とするなるべし」と、必ず広宣流布ができることが述べられています。
 当時の評論家の多くは、仏法を知らないにもかかわらず、この大聖人の仏法を“中世の宗教だ”と批判しておりましたが、キリスト教などは、もっと以前の宗教であり、そのキリスト教が、アメリカであろうが、欧州であろうが、西洋の文明の基盤になっております。真実の宗教、そしてまた仏法の真髄は、時代にかかわらず、永遠不滅の原理なのです。あとはその応用であり、価値創造であり、そこから花をたくさん咲かせていくのです。その「大地を的とするなるべし」という大聖人の仰せに、間違いはないと、恩師は確信しきっておられた。その恩師の確信、信心を、今度はどのように時代に生かしきっていくか、私はそれを実践してきたのです。
8  世間がなんと批判しようと、大聖人は末法の御本仏であります。釈迦、天台、伝教が厳然と、そのご出現を予言しています。またその哲理にしても、時代にかなった哲学であり、世界最高の色心不二の哲学ではありませんか。いま、唯心主義と唯物主義がみにくい藤を重ねていますが、大聖人は七百年前に、色心不二の生命哲学を根幹とすることを教示されているのです。道理のうえから、時代の趨勢から大聖人の仏法に間違いはない。それを虚妄にしてはいけない。したがって行き詰まったときには、この根幹に戻って、末法の御本仏日蓮大聖人の弟子であり、御聖訓は絶対に間違いないという大確信と情熱をもって進んでいこうではありませんか。(拍手)
 諸君は、今後、壮年になり、老年になって、広宣流布の長い旅路の指揮をとっていかなければならないし、そのさいに、この確信を、脈々とした一念の流れにしていっていただきたいのであります。(拍手)どうか諸君は、大聖人の子供であり、王子であるという誇りをもっていただきたい。そしてまた次の七年間、思う存分に、おのおのの境遇、おのおのの立ち場で、この使命を自覚して、明るく楽しく、見事な同志の団結をつくって前進してまいりましょう。(拍手)諸君の健闘、そしてまた健康を、心からお祈り申し上げて、私の挨拶といたします。(拍手)

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