Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第8回学生部弁論大会 世界を平和に導け

1966.7.26 「池田大作全集」第3巻

前後
3  有名な話ですが、ベートーベンがウィーンで有名になってきたころ、皇帝が一席ごちそうしてくれるというので行ったのです。すると、皇帝夫妻が真ん中にすわっており、ベートーベンの席はいちばん端のほうだった。そのときベートーベンは「彼は国王であるかもしれないが自分は音楽の世界の王者だ。招待しながら末席にすわらせるとは何事だ」といって席をけって帰ったのです。その信念・自尊心は立派であります。信心の世界でも同じであり、どんな世間の権力者や有名人の前においても、これだけの信念と自尊心を、諸君は生涯もち続けていただきたいのであります。(拍手)
 ベートーベンは途中からつんぼになりました。あの“運命”も、つんぼを克服しようとする戦いの作曲です。絶対に負けてはいけないという意思から発露する内面の藤を、音律にしていったものと思います。全生命の発露です。これが本当の音楽であり、十界三千のなかの一分が芸術に発露した証明であります。
 ベートーベンがあるとき聴衆を前にオーケストラの指揮をとっていました。だが彼はつんぼで、全魂を打ち込んで指揮をとっていたけれどもシンフォニーのいろいろな音調は聞こえません。それでも一心不乱に指揮をとり、静かなところを静かにやりすぎて、大勢の聴衆には演奏がぜんぜん聞こえなくなってしまいました。数分のあいだ、いや、二十分のあいだという説もあります。けれども聴衆は、ベートーベンの全生命を打ち込んだ指揮に感動して、水を打ったような静けさであったといわれ、そしてベートーベンが指揮を終えて挨拶したときには、万雷の拍手が鳴りやまなかったというのです。音が聞こえようが聞こえまいがそんなことは問題ではなく、一心不乱に指揮をとっている姿、それが諸法実相です。
 どんな立派な口をきこうが、どんな立派な身なりをしていようが、そんなことで民衆の心の奥底を打てるものではありません。音楽も聞こえずして、全身全霊を打ち込んで指揮をとり、聴衆を沸かせき、さらに全員が涙を流すほど感動せしめたかの大音楽家のごとく、その信心、一念の力をもって、諸君は名将となって、広布への指揮をとっていただきたいのであります。(拍手)
 毎年の学生部登山講習会がいちだんと充実し、それが即、広宣流布に、王仏冥合に、日本の社会の大革命に響き渡ることを心からお祈り申し上げまして、私の話といたします。(拍手)

1
3