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日蓮大聖人・池田大作

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台東広布35周年記念勤行会 厳然たる信念の生涯を

1986.7.26 「広布と人生を語る」第9巻

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7  古今東西、人間の世界にあっては、策謀はつきものである。まただれ人にも、順風のときもあれば、苦難のときもある。しかし、人を陥れてりこうげに振る舞う人間にだけはなってもらいたくない。
 われわれの世界は信心の世界である。ゆえに、いかに苦しく、つらくとも、厳然とした人生であっていただきたい。信心の世界にあって大切なことは、どれだけ自身の信仰を深め、生命の宮殿を闘いたかであり、また、どれだけ永遠にわたる金剛不壊の幸福境涯を生命に築いたかなのである。
 大聖人が「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ」と仰せのごとく、何があっても朗らかに、悠々と妙法を唱えつつ、前へ前へと進んでいくことが、信心の正しき道である。
 逆に、時代や状況の変化に左右され、ことあらば保身に逃避していくような生き方は、人間としてまことに卑しく恥ずべきものといわざるをえない。
8  台東といえば「上野駅」があるが、牧口先生も戸田先生も、また多くの幹部も地方指導のさいにはいつも利用しているし、私もとうぜん各地に激励に出かけるとき、幾たびもこの駅にお世話になっている。
 古くは、昭和二十九年十一月、そして三十四年四月三日と、私は台東での会合に出席している。当時は会館もなく、いずれも赤沢さんのお宅が会場であった。
 また台東区には蔵前国技館があったが、ここでは、三十二年七月十二日、大阪事件のさいの「東京大会」が開かれている。
 さらに、台東体育館も思い出が深い。会長就任直後の三十五年五月九日に、台東体育館に一万六千人が集って女子部幹部会が行われ、私も出席した。また二十七日には、そこで就任後初の本部幹部会が開催されている。以後、数年にわたり本部幹部会等の重要な会合が行われ、私は何回となく往復したものである。
 その意味で、戸田先生の時代は一般講義等をされた豊島の地から広布の波動が広がったといえるが、私の時代は、台東の地から全国へと、広布の運動と新しき流れが広がっていったといってよい。
9  皆さまにとって、この台東の地は、広布への楽しい思い出を刻む反面、苦難の広布の舞台であったかもしれない。しかし、信心の世界では、もっとも苦労して広布の道を歩んできたところに、大福運と功徳に満ちた栄光の人生と国土が開けるものである。また、そうしたところにこそ、広布開拓の精神に立ったカある若き後経の人材も陸続と輩出されていくことを私は確信している。
 仏法は永遠であり、生命も永遠である。またこの国土世間も、将来にわたって長く存在していく。ゆえに、目先のことにとらわれて落胆したり、自信を失ってしまうようなことがあっては絶対にならない。どこまでも強盛な信心を貫き、希望に満ちて、広布の楽土・台東の建設をめざし、朗らかに明るく前進していただきたい。

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