Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第二東京広布30周年記念支部長会 朗らかに広布共戦の歴史を

1986.7.18 「広布と人生を語る」第9巻

前後
3  組織の第一線でもっとも苦労されているのは、支部長、支部婦人部長をはじめとする中堅の幹部の皆さま方であると思う。圏幹部や本部幹部からはさまざまな指示もあろうし、また第一線の会員からも多様な意見や要望があり、それらを調整していくだけでも、じつに大変なことである。それだけにご心労も多く、心の中に悩みをかかえておられる方も少なくないと思う。その意味からも、本日はこうした機会を利用し、皆さま方からご質問があれば、お答えしておきたい。
 今後もまた、質問会を折あるごとに開催し、組織の第一線で活躍する皆さま方の疑問や悩みに耳をかたむけ、ともどもに解決方法を考えていく機会を設けたらどうかと提案したい。
4  絵画の道での大成を志す人に、信心とその道での精進の関係について
 芸術には芸術の道がある。医学には医学の道がある。経済には経済の世界の法則がある。ゆえに、それぞれの世界で向上し大成するためには、その世界において良き師、良き先輩について精進していくべきである。信心は、その精進しゆく自己の根本であり、原動力なのである。
 その意味において、信心しているから、しぜんにその道で成功するはずであるというような考えがあったとすれば、大きな誤りである。それは真の信心の姿勢とは関係のない甘えであり、観念論である。信心しているからこそ、人の何倍も努力してもらいたい。また苦労してもらいたい。悩んでいる暇があったら、徹底して描いて描いて描ききっていただきたい。また、題目をあげぬいていただきたいのである。
 さらに友人、同志と会い、切磋琢磨していくことも大切であろう。友人、同志との励まし合いのなかでこそ、力が出るし、境涯も開かれてくる。健康になり、威光勢力も輝いてくる。一人になり孤独になると、どうしても精神的に落ちこみ、弱くなってしまうものだ。
 ともあれ、真正の実力をもった人を、周囲はけっして放っておくものではない。逆にどんなに一時的に人気がでたようでも、ほんものの力がなければ、時とともにしだいにだれも相手にしなくなってしまう。どうか、純粋なる信心を根本に、他人の何倍もの精進で自己の道を極めていっていただきたい。
5  人の見方について
 一つの基準として、多くの身近な人から信頼され、いい人であると愛されている人の場合には、基本的に安心できるといえよう。反対に、一部の人から特別に尊敬されているようであっても、本人をよく知る周囲の人々から信頼をえていない場合には、注意が必要といえるかもしれない。ともあれ、常識と良識の立場に立って、良き信仰人であると大勢の人が認めているか否かが、人を見るうえで大切な基準になろう。
 さまざまな人とのさまざまな経験をへて、しだいに自分自身としての人間の見方が身についてくるものである。また、ときには広布の活動の途上にあって、信頼を裏切られることもあるかもしれない。人間社会につきものの善悪のさまざまな現象に出あうことは、ある意味でいたしかたない。
 しかし、そうした体験を積むことがそのまま、生々世々、リーダーとしての自身の資質を磨いていくことに通じていくし、また悠々たる福運の境涯を開いていくことになるのである。
 支部長、支部婦人部長の皆さま方は、日々、多くの人たちの面倒をみる立場にあってなみなみならないご苦労があると思うが、いっさいは自身の生命の修行となっていることを自覚して、頑張っていただきたい。
6  病気で悩む人に
 医師の診断に任せることはとうぜんだが、自身の願いをひたぶるな唱題にこめ、祈念していくことが何よりも肝要である。御本尊は私ども衆生の主であり、師であり、親である。三徳具備の仏様であられる。ゆえに、その御本尊に、子供が一心に親を慕うようにおすがりし、強盛に祈りぬいていくことである。
 上野殿すなわち南条時光は、二十三歳のとき大病にかかっている。大聖人は時光のために真剣に祈念され、時光自身も生きぬきたいと強盛に祈った。そして、弟は十六歳で他界しているが、時光は五十一年間も命を延ばしたのである。このように、御本尊への信と祈りを根本に、病苦を乗り越え、堂々たる人生を歩んでいただきたい。

1
3