Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

婦人部結成35周年、第15回滝山祭の記… ”小さを人生観”より”大きを人生観”を

1986.6.10 「広布と人生を語る」第9巻

前後
4  次に、創価大学の学生、とくに男子学生に申し上げておきたい。
 学生部の諸君のなかには、広布への活動と学問の研鎖の両立がむずかしいと、悩んでいる人も多いようだ。これは学生部にとってひとつの大きな課題ともいえる。
 ここに同席している篠原副会長、岡安副会長をはじめ、亡くなられた飛田総務、また青木副会長、森田副会長、谷川学生部長、石渡高等部長、林副学生部長等々、東大卒の幹部を何十人、何百人と私は知っている。彼らはみな、学問と信心を立派に両立させてきた。これが勝利者の姿である。苦労して自分を磨きに磨いたがゆえに、広布の指導者、力あるリーダーとなっているのである。
 そのメンバーに共通しているのは、”ハラのすわった”生き方を貫いていることだ。”ハラのすわった”人は、なにごとにつけても強い。同じ人生行路、同じ苦難の旅路にあっても、性根のすわった人は、身も心も軽く、目的の地まで歩みゆけるものだ。反対に”ハラのすわらない”人は、どこか弱々しく、みえっぼりであることが多い。小さなことに紛動され、目先
 の価値観にふりまわされてしまう。要するに、強靭なる自分がないのである。
 ゆえに強き「一念」に支えられた”ハラのすわった”生き方が大切である。では、いかなる指標に、自らの「一念」を定めていくべきか。
 真理を探究する学問も、たしかに正しい指標には相違ない。しかし、最極の生き方を指し示した指標は妙法以外にはない。ゆえに妙法広布に「一念」を定めることが、最高の自分を構築し、尊き覚悟の人生を生きゆくことになるのである。
5  ”小さな幸福””小さな人生観”に自ら満足してはならない。あくまで”大きな幸福””大きな人生観”に生きぬいていくべきである。つまり、狭く小さな境涯では意義ある人生は築けないし、広大なる境涯こそ人生を最高に意義深くすることを知っていただきたい。
 そして、最高の幸福、人生、境涯を築きゆくことのできる妙法の信仰に”ハラをすえ”て取り組んでいただきたいのである。
 日蓮大聖人の仏法には、宇宙がある。世界がある。そして現実があり、生活がある。さらに永遠があり、社会がある。また、一人ひとりを救済する人間がいる。自分自身を向上させる源泉でもある。
 ゆえに、この仏法に生きぬき、最大の人生と境涯を築いていっていただきたいのである。
 諸君は、後世の無上の宝となりゆく、大切な方々である。私は、全員が将来の大人材へと成長しゆくことを確信し、また日々、御本尊にご祈念させていただいている。どうか、信心と学問を立派に両立させながら、悔いなき栄光の青春時代を過ごしていかれんことを強く念願している。

1
4