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日蓮大聖人・池田大作

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「富士美術賞」第一回授箕式 父母のごとく会員を大切に

1986.5.9 「広布と人生を語る」第8巻

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3  私のお願いは、きょう集った皆さま方は、仏子であり、また日蓮正宗の信者として弘教に励んでおられる尊い会員の方々に対して、ある場合には父として母として、またある場合には兄として姉として接し、後輩の皆さま方を強く、また優しく励ます指導者であっていただきたいということである。
 いうまでもなく、そうした会員の方々がいなければ広宣流布はできない。ゆえに、かりそめにも、もっとも大切な仏子である会員の皆さま方を手段にしたり、権威のうえから叱ったりするようなことがあってほならない。責任と使命のうえから、その人の立場に立って指導することはとうぜんであるが、たんに組織の上下関係のうえからその人を萎縮させたり、しばるようなことがあっては絶対にならない。
 後輩の人々がいればこそ、私たちの指導者としての立場があることを忘れてはならない。あるいはまた、信心をしていない謗法の人々がいるがゆえに、私どもは折伏という仏道修行に励むこともできるわけである。その意味でまことにありがたいことだといわなければならない。
 そういう広々とした境涯で、少しでも仏の境界に近づいていけるような心で、これからも信心修行に励んでいただきたい。
4  戸田先生は、人生の、また人間としての生き方を教えてくださった、偉大な師であられた。その戸田先生が、晩年、「ともかく人生は強気でいくのだ」とよくいわれた。
 たしかに弱気の人は、いつも愚痴をこぼしたり、なんとなく暗く、沈みがちである。そういう人のところには、批判や愚痴の人は集まっても、明るく生きいきとした人は集まってほこない。要するに、退転しそうな人しか集まらない存在になってしまう。
 しかし、広布の使命に生きる私たちは「ほんとうにあの人のように、しっかりとした躍動の人生を歩んでいきたい」「あの人のあとに続いて、強盛な信心をしぬいていきたい」といわれる存在でなくてはならない。それを戸田先生は”強気の存在”といわれ、そうでなくては人々はついてこないといわれたのである。
 もちろん、強気といっても、いばるということではない。強い確信という意味にもなるし、結局は強盛な信心といえると思う。

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