Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「立宗宣言の日」記念勤行会 「八風」に揺るがぬ信を

1986.4.28 「広布と人生を語る」第8巻

前後
7  不動の信念の人生を
 「身動揺せずして三昧に入る」(妙音菩薩品第二十四)との法華経の経文について、御義口伝では「此の文は即ち久遠を悟るを身不動揺と云うなり惑障を尽くさずして寂光に入るを三昧さんまいとは云うなり所謂南無妙法蓮華経の三昧さんまいなり」と御教示されている。
 ここで「久遠を悟るを身不動揺と云うなり」との御文について、私どもの実践のうえから拝するならば、御本尊に対し奉り、久遠の妙法を唱えぬいていくことである。その結果として、わが生命が久遠元初の南無妙法蓮華経、本有常住の妙法の当体であると開覚することができるのである。すなわち、たとえ、いかなる時代になり、いかなる困難な事態に遭遇したとしても、いささかも動揺することなく悠々と、自行化他にわたる題目を唱えに唱えぬいていける強盛なる大確信の信心の境地、これが「身不動揺」なのである。
 次下に「所謂南無妙迭蓮華経の三昧なり」とあるように、ここに日蓮大聖人の仏法の「三昧」があり、究極の信心の境地があるといってよい。すなわち生命のもっとも根底からの、絶対的な安心立命の境涯である。その「身不動揺」の「三昧」の境涯をわが生命に開き、確立していくことが仏法の極意なのである。このことをよくよく銘記していただきたい。
8  たとえ今、難があったとしても、多くは、悪口や中傷、誹謗ていどのものである。そうした難で動揺し、自身の信念を曲げ、同志を裏切っていくなどということは、人間としてもまことに情けない卑劣な生き方である。
 まして仏法の偉大さを教えてくれた学会の恩を忘れ、自らのエゴと慢心のうえから批判し敵対するにいたっては、畜生界にも劣る所業といわざるをえない。
 また今、私の時代のうちに、あらゆる「難」をうけ、未来へ向けていっさいを磐石にしておきたいと念願している。そのために何十年先、何百年先までの広宣流布への手を打っているつもりである。
 ともあれ、私どもの実践はいっさい、広宣流布のためであり、一生成仏のためである。わが身のみならず、悩める友のために尽くしきっていく尊き人生なのである。
 世界には、まだまだ無数の不幸な人々がいる。その人々を御本尊へと導き、幸福へと導いていくのが広布の先駆者、リーダーとしての私どもの使命である。その民衆救済への慈悲の行動のなかにこそ学会精神があり、また御本仏の心にかなう実践があると信ずる。

1
7