Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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日本、イギリス、アルゼンチンの合同研修… 御本尊受持こそ最高の人生

1986.3.10 「広布と人生を語る」第8巻

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2  人生における「最高の財宝」とは何かといえば、たとえば、多くの土地を持つことも、人生のひとつのカであり幸福かもしれない。豊かな財宝を持つことも、有名の二字でわが身を飾ることも、同様といえよう。しかし、それらはしょせん、諸行無常のはかなき仮の姿であり、けっして永久に持ちつづけていけるものではないことも、また真実である。
 ただ妙法即御本尊のみが、三世永遠にわたって持ちつづけていける金剛不壊の宝であり、最高にして真実の財宝なのである。この無上の宝を幸いにも私どもは受持できたわけである。これ以上の無限にして偉大な力、幸福境涯はない。どうか、このことを強く確信していただきたい。
3  また、”なぜ信仰するのか”といえば、その重要な目的の一つは、端的にいって、崩れざる自身の大境涯を開いていくところにある。「本尊」とは「根本尊敬」との意義があるように、御本尊は根本中の根本の法である。世間でも、幸福の人生のために、またさまざまな境涯を開かんがために、種々の方途を兄いだしているが、それらは妙法という次元にはくらべることができないのである。妙法を求め、信じ行じていく信心の大道こそ、最極の人生の歩み方なのである。
 妙法によってこそ、わが胸中に崩れざる幸福の大境渡を開いていくことができるのである。すなわち、まことに広々とした、悠々たる、限りなき境涯、宇宙大といえるほどの大いなるすばらしき境涯をわが生命に築き、開いていくことができるのである。これ以上の幸福はないし、これ以上の壮大なる人生はない。
 信仰の目的は、けっしてただ目前の利益を求めゆくところにあるのではなく、この内なる生命の大境涯の確立にある。そのことを、どうか深く知っていただきたい。
4  御書には「一切法とは一切皆是れ仏法なり」、また「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背いはいせず」と仰せである。これは、まことに重要な法義を述べられた御文と思う。
 「一切法」とは、すべての哲学、思想、また世間の法であり、それらは、仏法の全体にはかならないとの意義である。日蓮大聖人の仏法は、仏法のための仏法ではない。自身の行動をはじめ、社会、人生、生活のいっさいにつらなり、さらには全世界、全宇宙まで、すべてをつつみこんだ普遍の法なのである。つまり”妙法即一切法”であり”一切法即妙法”なのである。
 仕事での態度も、生活の姿も、礼儀と常識ある行動も、人間関係のあり方も、またその国の良き慣習、伝統、法律も、すべてが妙法に通じ、仏法の全体なのである。ここに仏法者であるわれわれが世間を重んじ、生活を大切にし、社会へと貢献していかなければならないゆえんがある。このことを、ここで確認しあっておきたいし、よくよく銘記していきたい。
 最後に、今回の来日が、楽しい思い出を刻みゆく有意義なものとなるよう心から念願し、本日のあいさつとしたい。

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