Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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香川県記念支部長会 誉れ高き仏道修行を

1985.4.18 「広布と人生を語る」第7巻

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6  この現実社会での折伏弘教の意義について、仏法の「願兼於業」の法理を通しお話ししたい。
 「願兼於業」とは「願、業を兼ね」と読み、仏・菩薩が、苦悩の人々を救うために、みずから誓願して悪業をつくることをいう。
 いうまでもなく仏とは、別しては日蓮大聖人であられ、大聖人の御立場から拝するならば「願兼於業」とは、民衆の一切苦を引き受けられた大慈悲の御姿であられる。
 この法理を、地涌の眷属というわれらの立場に敷延して考えれば、われわれの信心の目的は成仏にある。だが、成仏をして、自分だけが幸福境涯に遊戯していればよいというものではない。
 この地球上には、さまざまな不幸の衆生がいる。その衆生を幸福にするために働くこともわれわれの使命である。そのために、本来ならば信心によって幸福境涯を満喫できる立場にありながら、たとえば「貧乏のなかで、その苦しみを知り、転換していこう」「病気になっても、それを治しながら、病気の人を救っていこう」、また「短命であっても立派な成仏の相で周囲に、また同じ境涯の人に勇気と希望を与え、妙法を証明していこう」等々、あらゆる願兼於業の姿を見せながら、この地球という娑婆世界の舞台で活躍していくのである。
7  どうかこの無始無終という永遠の生命観のうえから、一生のさまざまな現象も悠悠と見おろしていっていただきたい。どんな苦労があっても、ぜんぶ自身の成仏と福運のためである。たとえ何があろうとも、広布に精進する大切な仏子を、御本仏日蓮大聖人は絶対に大慈悲をもってつつんでくださることを確信して、朗らかな前進をお願いしたい。
 創価学会は日蓮大聖人の仰せどおりに、諸難を乗り越えながら不惜身命で広布に邁進している仏意仏勅の団体である。御本尊のもと、大聖人の門下として、何ものも恐れず、どこまでも堂々と信念の道を生きぬいていっていただきたい。

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