Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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山梨県記念支部長会 永遠の幸の旅路を

1985.3.11 「広布と人生を語る」第7巻

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3  ここ山梨池田文化会館は家具製作工場が多くある地域の一角にある。学会の会館は生きた社会の真っただ中にあるが、それは、だれ人たりとも、また、いかなる団体も会社も、すべて“社会”の外に存在するものではないからである。なかでも生きた宗教、生きた仏教は、現実の生活が営まれているこの社会のなかに根ざし、息づいているものである。ゆえに、その仏法の活動の拠点といえるこの文化会館が、工場群のなかに広布の牙城として存在する意味はまことに大きい。
 また、大阪のある会館の管理者の人から聞いた話であるが、有名大学の哲学科を卒業し、立派な会社に就職した青年が人生に行き詰まり、学会の会館に集ってくる人たちの生きいきした姿に感動して、管理者の方に「どうしたらそのようになれるのか、ぜひ教えてほしい」と訪ねてきた。そして入信し、今、信心に励み、はつらつと人生を謳歌している、という。
 そのように、深い法理を理解してというよりも、学会員のふだんの姿に注目し、仏法を求める場合も多いのである。
4  幹部のあり方についていえば、怖い人のそばには人は集まらない。権威主義的な人に対しては、人間は心の中では従わないものである。また、感情的で威圧的な人のもとからも、多くの人が去っていってしまう。これが人間の世界の実態である。
 すべての人に人権があり、名誉があり、自由があり、権利がある。
 信心の指導は、力強く信念をもってあくまでも毅然となさなければならないが、生活一般に関することに対しては、道理正しく、温和に、じゅんじゅんと話すことが大切である。
 御書には「平かなるは人」と仰せである。相手の人は幸せになろうという求道心をもっているのであるから、“心たいらに”話せば通じていくものである。けっして威張ったり、一方的に叱ったりすることがあってはならない。
 また、感情的に相手を威圧したり、権威的で威張っている人は、最後は、みずからが行き詰まり、広布の戦列から離れていかざるをえなくなる場合が多い。
 人々が納得し、喜んで信仰に励み、はつらつと活動していくためには、どうすることが一番よいのかということをつねに考え、責任感強く相手を包容していく幹部でありたいものである。
5  信行具足の題目を唱えていくことが大切である。
 皆さまもご承知のように、日蓮大聖人の三大秘法のうち、本門の本尊には「法の本尊」と「人の本尊」がある。また本門の戒壇には「事」と「義」がある。そして本門の題目には「信」「行」を具足している。それらいっさいが一大秘法である人法一箇の御本尊に収まることはいうまでもない。
 本宗は「題目の宗」といわれるごとく、あくまでも三大秘法総在の御本尊に題目を唱えていくことが根本である。
 ここで大切なことは、題目には「信」と「行」が、両輪、両翼のごとくそなわっていなければならないということである。この両方がそなわってこそ、大聖人の仏法における「本門の題目」があることを知っていただきたい。
6  信心の途上にあって、不慮の事故など“どうしてこういうことが起こるのだろうか”と思わざるをえないことがある。
 それらは、信心のうえでの「生老病死」であり、けっしてたんに信心が弱きゆえにということではない。信心のうえでの出来事にはすべて、深い意味と価値があるもので、そのときには分からなかったとしても、かならず時とともに明らかになっていくものである。妙法の世界には、けっして無意味な、無価値なものはないことを確信されたい。
 大聖人は「心こそ大切なれ」と仰せである。いかなることがあろうとも御本尊へ、広宣流布へと奥底の一念が定まっていれば、一念は色心不二、色心総在の一念であるがゆえに、かならず最後には色心ともに幸の軌道に乗っていけるのである。
7  経文に「勇猛精進」とある。「精進」の「精」とは「無雑」であり、余念なくひとすじに進みゆく清らかさである。「進」とは「無間」であり、間断のない、無限の前進をいう。
 私どもの妙法を唱えながらの前進は、まさしく清らかにして末法万年尽未来際への限りない前進である。いわば、人類にとっての、永遠なる幸の旅路なのである。
8  大聖人の仏法は下種仏法であり、本未有善の衆生(未だ善根を有しない衆生)に、大御本尊を教え、仏縁を結ばせていく法戦が使命である。
 いったん下種をされ、仏縁に結ばれた生命には、かならず妙法の仏種が薫発されていく。そして、過去遠々劫からの汚濁の生命は、しだいに浄化され、宇宙観にあっても、生命観、社会観、自分観にあっても、真実の正しき目が開けてくる。そして、戦争や悪への鉄鎖を切って、絶対的平和と安穏へと向かっていくことができるのである。
 下種を縁とした一人ひとりの生命の浄化が、生死をくり返しながら回転していくなかに、末法万年の時の流れとともに、この地球上にすばらしき人間と平和の楽土がかならず構築されていくことを確信されたい。
 現在のわれわれの広布の活動は、そのための第一歩なのである。
9  きょうは昭和三十年の歴史的な「小樽問答」から、ちょうど三十周年の佳節を刻む日である。あの問答も雪の降る日に行われた。また三十年目のきょうも、東京をはじめ各地で雪化粧の風景が見られた。ここへ来る車中でも深い感慨を覚えたものである。
 小問答は、仏法正義を証明し、正法を永遠に発展させてゆくために行った正義の法戦であり、勝利のために、当時、懸命に奔走した多くの同志に、心から感謝の意を表したい。
 当時活躍したのは、ほとんどが若き青年部のメンバーであった。私も二十七歳だった。講師として立った小平さんも辻さんも三十代であった。すべて青年が、戸田先生のもとに、全権を担って戦いを進めたのである。青年部の諸君は、この方程式を再び確認して、進んでいっていただきたいものである。
10  また小樽問答は、僧俗和合の麗しき歴史をきざんだ広布の法戦であったことも、ここで申し上げておきたい。
 ありがたくも、総本山第六十四世日昇上人猊下があたたかく見守ってくださった。また、のちの日達上人猊下であられる当時の細井庶務部長も、会場で私どもといっしょに参加してくださったのである。
 この僧俗和合の大原則を、永遠に変わることなく堅持しながら、私どもは創立六十周年をめざして、力強く前進してまいりたい。

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