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日蓮大聖人・池田大作

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関西代表者祝賀会 末法の「戎」とは御本尊受持

1985.1.20 「広布と人生を語る」第7巻

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9  人類平和へ妙法弘宣を     
 大聖人の仏法は「下種仏法」である。「下種」すなわち折伏には「聞法下種(下種をうけて法を聞くが、まだ信受しないこと)」と「発心下種(下種をうけて信心を発すること)」がある。
 また、折伏をされて素直に入信する人もいる。これを順縁の衆生という。逆に反対をする人もいる。これを逆縁の衆生、毒鼓の縁ともいう。
 しかし「下種」とは、衆生の生命に仏種を植えたことであり、たとえ信受しなくとも、すでに御本尊の大慈大悲の“放射能”が入ったことになる。
 ゆえに、下種をされた人は、どのような人であれ、順縁・逆縁ともに、かならず発心し成仏の方向へと向かっていくのである。ここに折伏行の重要な意義があり、
 凡夫では計り知れない御本尊の偉大なる御力があることを知らねばならない。
 人類の幸福といい、世界の恒久平和といっても、一人の人間の生命をいかに薫発し、そこに幸福と平和の砦を築いていくかが、すべての前提条件であることはいうまでもない。その意味で、大聖人の仏法以外に、人類の幸福と恒久平和をもたらす大宗教はないと訴えたいのである。
10  以上申し上げた「金剛宝器戒」の厳粛な法理を深く知って、皆さま方はさらに御書を深く拝読していただきたいのである。こうした意義を知って拝読するのとしないのとでは、信心の深さのうえで大きな違いが出てくるからである。
 どうか、御本尊への大確信に立って、日々、信心を深めていただきたい。そして、われらの妙法弘宣の活動こそ、人類にとって無限にして永遠なる平和への変革作業を行っているのだとの誇りをもって進んでいただきたい。もう申し上げて、私の話を終わらせていただく。

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