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日蓮大聖人・池田大作

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豊島区第二回信心懇親会 深き信心に無量の善根

1985.1.12 「広布と人生を語る」第7巻

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13  「末曾暫廃」の御精神を胸に 
 如来寿量品に「末曾暫廃(未だ曾て暫くも廃せず)」とある。仏は衆生教化をいまだかつて少しもやめたことはない、との意味である。
 文上でいえば、釈尊は五百塵点劫以来、化導をされてきた。
 文底から拝すれば、日蓮大聖人は、遠くは久遠元初以来、化導されているということである。けっして、もうこれで終わろう、疲れた、つらいからやめようということは仏にはない。
 何回となく戸田先生は、講義や指導に出かけるとき、この「末曾暫廃」の言葉をいわれた。かなり体も弱り、疲れ果てておられるときでも、「仏が『末曾暫廃』であられたのだから、使命に生きぬく私も頑張らなければならない」と言って出かけられた。その言葉とお姿は、いまだに私の耳朶に焼きつき、離れない。
14  今、私どもも法王であられる日蓮大聖人の仏子として、広宣流布という“誓い”を果たしゆく使命を忘れてはならない。ならば、前途にいかなる苦難の尾根、波浪の大海があろうとも、「末曾暫廃」の精神で進んでいきたいものである。
 そして、永遠の生命からみるならば、まことに短いこの一生をば、人々に御本尊を教え、正法を弘め、社会のため、悩める人々のために貢献しぬいていく人生を送っていかねばならない。ここにのみ、永遠に残る“思い出”と“誇り”があり、三世にわたる功徳善根があることをけっして忘れてはならない。
 このように豊島は、広布のかずかずの歴史をとどめてきた戸田先生ゆかりの地である。どうか、石原豊島長を中心として、支えあいながら、大いなる豊島の建設のために、広布の深き思い出をきざみつつ、日々、精進されんことを念願し、本日の話としたい。

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