Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回大田区総会 信心の王者の大道を貫け

1983.4.29 「広布と人生を語る」第4巻

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3  大田は、広布の先駆の区であり、信心歴の長い人も多い。だが、信心が長くなれば、よどみがでてくる場合がある。信心がよどめば、歓喜がなくなる。広布への潔い目標も失われ、信心の功徳もうすらいでくる。幹部になればなるほど、また信心の年数が長くなればなるほど、日々、新たなる発心で、潔い信心であっていただきたい。五老僧の道を、正信会の悪侶や学会反逆の徒と同じ道を、けっして歩んではならない。
 また、大聖人は「智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし」と仰せである。我義すなわち大聖人の仏法の正義は絶対である。
 ゆえに、われわれの信心の立場からこの御文を拝するならば、いかなる苦難があっても、信心を破られてはいけないということである。大聖人の仏法の真髄は「信心」にあり、信心さえやぶられなければ、すべてに勝っていけるのである。われわれは、大聖人の門下である。仏子である。ゆえに、”われわれこそ信心の王者なり“との気概をわすれず、堂々と広布と信心に邁進していただきたい。
4  「光陰矢の如し」で、人生、あっというまに老いてしまう。また、死の訪れも早いものだ。ゆえに、やるべきことを一生懸命やりながら、悔いなき人生を生きてほしい。
 大切なことは、みずからの生命をかけた目標、使命の場所を明確に定めることだ。それが定まっていない人生は、結局、中途半端でおわってしまう。
 われらの生涯は、御本尊の御元で生きぬくことだ。日蓮正宗創価学会は、大聖人の仏法を永遠に広宣流布しゆく教団である。学会の世界にあって、われわれは御本尊とともに「九識心王真如の都」へと生命の旅路を歩みゆくのである。
 ともあれ、私ども信仰者は、信心だけは、自分自身の建設のために、すっきりと潔く、生きいきと進んでいきたい。

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