Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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愛知県記念幹部会 立派を信仰で立派を人格を

1983.3.6 「広布と人生を語る」第4巻

前後
3  幹部は、広布の責任感のうえから、苦しみや悩みも多いかもしれないが、幹部としての強き信心の実践によって、それらを功徳と転じ、みずからの境涯を深めていくことができるのである。
 御書に「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とあるように、インド応誕の釈尊も御本仏日蓮大聖人も、民衆救済のための御振る舞いであられ、大難の御生涯であられた。
 われらの折伏・弘教の実践も、妙法を根本として「生命」と「人間」を本源的に蘇生させ、救済していく仏子としての使命の実践である。エゴとねたみが渦まき、他人の不幸のうえにみずからの幸せを築いていこうとする”心の不毛“の時代にあって、これほど尊い人生の労作業はないことを確信してほしい。
4  大聖人の仏法は、因果倶持の法である。南無妙法蓮華経と唱題しゆくその瞬間に、因果倶持で、すでに人生勝利の果をはらんでいるのである。
 ゆえに、日蓮正宗の御本尊に唱題しゆくその実践は、いわば妙法の”放射線“を生命へ、人生へ、社会へと放ち、自身の福運をつみかさねつつ、魔の働きを根底から切っているのである。
 学会を、そして妙法の同志を非難、中傷する人は、かりに表面的には勝ったような姿をみせていたとしても、因果倶持で、その瞬間に、福運を消し、三悪道の道を歩みはじめているのである。したがって、御本尊の御力で冥益、冥罰として、その違いは時とともに明確になる。
 ゆえに、信心さえあれば、いっさいに勝つことができるのである。そのことを確信し、どこまでも御本尊へと向かいゆく信心の姿勢を忘れてはならない。
5  「生命」を対象とした尊い作業は、地涌の眷属でなければできない実践である。そこではその担い手である一人ひとりの人格が重要になる。度量の狭い人、悪意の人、非礼の人、非常識の人は、社会でも結局、信頼を失い、偉業は成し遂げられないものだ。ゆえに信心即社会、信心即生活のうえからも、各人の人格、威厳ある人間性の輝き、人柄の良さ、礼儀正さ、良識が大切になる。
 そして、学会総体としても多角的、重層的な高次元の段階にはいった現在、学会員一人ひとりに、そのような人間性の輝きが増してくれば、学会じたいも質的発展を遂げることができ、仏法理解の輪も大きく広がっていくのである。
 世間や政治の次元では妥協はあっても、謗法厳戒が日蓮正宗の教義であり、仏法の次元で妥協があってはならない。いかなることがあっても、純粋にして強盛な信心を貫く人に、三世十方の仏・菩の加護がある。仏法は勝負であり、謗法に勝ってこそ正法の正義は証明されるのである。愛知の同志の今後の健闘に期待したい。

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