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日蓮大聖人・池田大作

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墨田区代表者の集い 日々御書の拝読を忘れるを

1983.1.14 「広布と人生を語る」第4巻

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4  私も今朝、御書を拝した。その一節に「我慢偏執の心なく」云々と説かれている。
 御本尊には広大無辺の功力があるといっても、恐るべきはこの「我慢偏執の心」である。我慢偏執とは、簡潔にいえば、我見、慢心にとらわれることである。法を求め、みずからを成長させようとの心ではなく、自己の名聞名利を根本とし、執着している姿である。
 けっして我見、増上慢におちいってはならない−− との厳しき仰せと拝する。
 御本尊法主上人に師敵対した悪僧もこの「我慢偏執」になってしまったのである。
 学会を批判し悪口をしている連中もまた同じく「我慢偏執」のとりこになった哀れな人々なのである。
 信心の功をつみ、人生の頂上への坂を上がりゆく皆さま方は、この一点をよくよくかみしめて誤りなき信仰の道の達成をお願いしたい。
 われわれの信心は、どこまでも御本尊へと向かいゆく求道の心が根本でなければならない。それが「我慢偏執」を打ち破っていく根本である。こうして信心根本に、ともどもに正しく歩みゆく和合僧の団体が学会なのである。 本年も新しい決意で、御本尊への祈りと広宣流布への建設に、たがいに励ましあいながら、一生成仏の大道を、人生総仕上げの輝く道を進んでほしい。

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