Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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富山県記念支部長会 人生の究極は”歓喜”

1982.9.11 「広布と人生を語る」第4巻

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11  よく、私どもは非難、中傷される。これは、大聖人の仏法を正しく行じているがゆえである。仏法のこと、信心のことは、不信、謗法の人々にわかる道理がない。
 私どもがいちばんよく知っているし、確信があるわけである。それを、仏法も知らず信心もしない人が、独断的に、感情的に、いくら攻撃しても、けっして負けてはならない。われわれは、いまだ仏法を知らざる人々に、教える立場にある。多くの人々は、教わる立場にあるといってよい。それを本末転倒して、信心なき人々の言動に紛動されてしまうことは、まことに道理に合わないわけである。われわれこそ正法を教える立場にあるとの確信、この一点が信心であると知らねばならない。教わるべき立場の人に攻撃されて退転するようであっては、もはや信心ではないのである。
12  九月十二日は、日蓮大聖人が「竜の口の御法難」にあわれた日である。その御法難のさいは、死刑囚として、その御身をば晒し者のごとく、鎌倉の道をひかれていかれたのである。この御姿をお偲びするごとに、私は紅涙したたる思いがしてならない。
 その御姿を拝するならば、私どもの難はあまりにも小さい。私への非難、中傷、も、まったく微々たるものと思っている。私どもは、大聖人の御一生の御姿を拝しながら、潔い信心の誇りを、生涯にわたって失ってはならない。
 富山の方々は、これまで大変ななかをほんとうによく戦ってこられた。よく耐えてこられた。耐えることが信心の一つである。ともあれ、皆さまの心情を思うとき、私はこれからも全力をあげて「富山がんばれ!」と申し上げながら。惜しみなく応援していくつもりである。
 ご長寿であっていただきたい。所願満足の人生であっていただきたい。生活のうえに、勝利を飾っていただきたい。そして、いずこの地にあっても、「私は富山の出身である」との誇りをもって、後世の人たちの先鞭をつけたといわれる一人ひとりであっていだたきたいのである。

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