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北陸記念勤行会 ”広布の王者”石川・富山に

1982.9.9 「広布と人生を語る」第4巻

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1  北陸広布二十五周年をお祝い申し上げる。ただいま御本尊に、皆さまのご多幸とご健康と、安穏の人生でありますよう、ご祈念させていただいた。
 六年ぶりに、北陸の地を訪問することができた。この数年、皆さまよく戦ってくださった。心から感謝申し上げる。とともにこの間、私の勇退、北条前会長の逝去、その他さまざまなことがあったが、悪環境のなか耐えてくださった。ただただ申しわけなく、心からお詫び申し上げたい。しかし、難多ければ、功徳もまた大なることを、御書に照らして確信していただきたい。苦しみ悩んだぶんだけ、大功徳に転じていくのが妙法の信心なのである。
 私がいるあいだ、さまざまな体験をつんでいただきたい。さまざまな厳しい体験を経ていかなければ、広布の基盤はできないものだ。仏法に「当分跏節」とある。
 近視眼的にみれば、まことに苦しい状況であるが、将来的にみた場合は、その永遠性のために切開手術もしておかなければならないこともあるのだ。恐れてはならない。
2  先日、ある学者や学生たちと語り合った。論点は、大聖人の仏法の永遠性、普遍性ということであった。
 大御本尊については、大聖人も御書のなかに「一念三千の法門をすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」と仰せのごとく、私ども凡夫の思考などとうていおよばない甚深の御当体であられることはいうまでもない。ただ、御書を拝し、理念、思想という次元からみた場合に、世界の哲学者、思想家、文豪たちが、いかに大聖人の御聖訓に近づききたっているかということがわかるのと話になった。
 すなわち、これら人生の達人の志向する人間の本質観というもののなかに、日蓮大聖人の大仏法の片鱗に通じるものをみることができる。彼らがいかに大聖人の御聖訓に、知らずして近づいているかという、その一端の例をひいておきたい。
3  ドイツの文豪ゲーテは、このようにいっている。
 「自分のほうからは、できるだけ環境を支配するが、環境からはできるだけ支配されない。人間の最大の価値はさこにある」と。
 これは、仏法に説く「一念三千」の一部分、依正不二論の一端を語っているとみることもできる。私ども信仰者は。悪環境にいつも支配されていてはならない。いわば、環境を支配し転換しゆく戦いなのである。そこに、私どもの広宣流布への大運動の価値と使命があることを知っていただきたい。
 また、ゲーテは「花が花の本性を現じたる時、最も美なる如く、人間が人間の本性を現じた時は、美の頂点に達するのである」といった。
 私どもの信仰のめざすところは、生命のなかのもっとも尊極なる仏界の涌現にある。ゲーテは、この人間の生命のなかに本質的にそなわる尊き境涯を直観的に覚知していたのであろうが、はたして、その人間の本性は何か、また、とうすればそれを出せるかという点まではいたらなかった。一人ひとりが、自身の仏界を涌現し、最高に輝いていく方途を確立したのが仏法であり、そこに、桜は桜、梅は梅という「桜梅桃李」の原理があるのである。
4  また、「心意気が男をつくるのだ。服装が男をつくるのではない」とはハルムの言葉である。
 人間を決するものは、格好や服装ではない。形式でもない。なにごとも心意気である。これをわれらの立場でいえば、信心の一念から発する情熱であり、行動である。広宣流布への心意気こそ、地涌の菩の属たる証明なのである。
 「前進しようというファイトさえあれば、個人であれ、会社であれ、現在はどうであろうと発展していく」といった思想家がいた。
 大切なのは、このファイトである。われわれも、このファイトできたから発展したのである。法華経にとく「勇猛精進」である。また、御書に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」とあるとおり、前進へのおおいなるファイトをもち、気宇壮大に広布へ進んでいただきたい。
5  「学は光、無学は闇と、ロシアの文豪ツルゲーネフはいった。これは、まさにわれわれが「行学の二道」を励みゆくことに通じるといえる。
 また、古代ギリシヤの哲人ソクラテスは「満足は天然の富である」といっている。
 これは、御書に「所願満足」の大境涯の人生を築きゆくことを、信仰の目的と示されていることに通ずる。
 「金には限度がある。だが信用は無限である」との箴言もある。崇峻天皇御書に「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」と仰せのごとく、みずからの生命につみゆく心の財産、あらゆる人々から信頼される豊かな人間性こそ、もっとも大切なのである。
6  北陸は「広布の王者 富山」となっていただきたい。組織としては、東京、関西にくらべれば、石川、富山はまだ小さい。しかし、広宣流布への使命感に立って、一人ひとりが功徳あふるる人生であり、また見事なる信心の団結の模範の王者になられることを期待してやまない。
 最後に、御法主上人猊下の御下、われわれは信徒として日蓮正宗をいよいよ外護申し上げていかねばならない。そこにのみ令方久住があるからである。とともに、地涌の菩の属として、広宣流布の道をより大きく開くため、舟津副会長を中心に前進していただきたい。渡辺石川県長、牧富山県会長も真剣に頑張っている。私どももその姿を見守り、あくまでも大切な仏子である皆さま方のためにがんばってもらいたいと祈っている。
 ともあれ、題目を唱えに唱え、日蓮正宗の大信者として、また、広宣流布の王者としての人生を、誇り高く歩んでいただきたい。

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