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日蓮大聖人・池田大作

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日立会館落成五周年記念勤行会 広布のための祈りと人生を

1982.2.10 「広布と人生を語る」第3巻

前後
1  日の光赫々として明るくすばらしい日立の天地を、二十三年ぶりに訪問し、皆さま方がいやまして生きいきと活躍され、見事なる発展がなされているのに驚いた。
 この太平洋の彼方には多くの国々がある。どうか日立の広布をさらにひらいて、海外の広布へのご活躍もお願いしたい。(拍手) 
 当地は「常陸圏」という名称でこられたようだが、かつて水戸光圀が、この地に立ってすばらしき太陽の光を感じとり「日立」と名づけたと聞く。ゆえに私は、この伝統的地名にならって「日立圏」としたらどうかと提案したいがいかがであろうか。(大拍手)
2  この日立もしばしのあいだ寺院との問題があって、苦しい暗い風の吹いた時があった。まことに残念なことであり、私も皆さまと同じく、苦しい日々であった。私は、御法主上人猊下の御指南のもとに、一日も早く理想的な和合ができることを、ひたすら祈りつづけてきた。いま、御法主上人猊下の御慈悲のもと、まったく平穏となり、これほどの喜びはない。
 大聖人の仏法は「現当二世」である。現在と未来へ向かっての信仰であり、人生であり、生活であるととらえなければならない。ゆえに、過去は過去とし、現在と未来へのすばらしき発展を祈ってやまない。
3  私どもに難があるたびに、いつも思い出されることは、あの大聖人の時代は大法難の連続であったという事実である。大聖人の御法難からみるならば、私どもの難はまだ小さい。すべてが罪障消滅のためと、大海原のごとき心で見下ろしていきたいものだ。
 絶対なるものは、大御本尊のお力である。また、絶対なるものは、御書である。
 そして、仏法の根本を御指南されるのは、あくまでも御法主上人猊下であられる。
 御法主上人猊下の御指南にしたがわないものは、もはや日蓮正宗の僧でもなく、俗でもない。心して、この一点を忘れず、あとは何も恐れず、強盛な信心で、たくましくわが正道を歩んでいただきたい。
 私は、この地の僧俗の和合を心からお願いする。再び、同じ轍を踏むことは許されない。それは、御法主上人猊下の御指南に反するからである。
4  大聖人の大慈大悲は、御本尊に祈って幸福になりなさいということである。さらに大聖人は、みずからが幸福になるとともに、人をも幸福にしていく道を教えてくださった。すなわち、広宣流布せよとの御遺命である。私どもの信心はこの一点、すなわち広宣流布を願っての、日々の活動であり人生でなければならない。祈りもまた同じである。
 広宣流布のために現実の社会での実証を、広宣流布のために健康を、広宣流布のために財力を、広宣流布のために子等の成長を等々−−その強くして大きく広い願望の祈りが、大切であると思えてならない。
5  最後に御書の一節を拝したい。
 「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり
 「天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり、信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず行くべからず
 ともあれ、大御本尊につねに感謝ある信心強き人は幸いなりと、強く申し上げたい。

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