Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2回御書研鑽会 「開目抄」に死身弘法の実践を学ぶ

1981.3.10 「広布と人生を語る」第1巻

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15  ともかく人間は、じつに弱く臆病な一面をもっている。順風のときは信念強そうにみえても、逆風にあえばその信念を揺らいでしまう場合が多い。
 真の信心とは、生涯にわたってこの大法に南無し、誇りをもって殉じていくところにあるのではないだろうか。
 いずこの世界にあっても、いかなるところについても、苦難と逆境のなかに、それを乗り越え、貫きとおしていくところに、真実の仏道修行があると銘記されたい。
 「我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん」とは、一応は七百年前の日蓮大聖人門下のあいだに見られた姿であるが、このことはいつの時代にもつうずる心すべき点である。
 また「三世各別あるべからず」との御文を次元をかえてお借りするならば、小才におぼれ、同志を裏切り、信心の大道を見失い、見せかけの正義を装った醜い徒輩も、私たちが広宣流布の大道を進んでいくなかで、眼前に見られるとおりである。
 しかし、それらはいちじは、みずからの陰謀が成功したかのようにみえても、御書に照らして、生命の因果の厳しさをやがて知るにちがいない。
 まことに「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」と仰せのとおりの現実である。
 ただひたすら実直に信心を貫きとおしてこそ、功徳の根はいやまして大地に広くはられ、経済的にも、身体的にも、家庭的にも、社会的にも、所願満足の人生のうるわしき凱歌をあげうることは、まちがいないと確信するものである。これ「大法」のゆえであり、信心のゆえである。
 本年は、宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌のまことに慶賀の年である。世界に活躍する私どもは、それぞれの国のよき市民となり、正宗のよき信徒となって、その国とわが身とわが生活の繁栄を願いながら、尊くも悔いなき人生を送ることを、おたがいに確認しあい、本日の研鑽とさせていただく。

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