Nichiren・Ikeda
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ワシントン最高協議会
「大王膳」で「人華」の幸を
1980.10.9 「広布と人生を語る」第1巻
前後
1 法華経に「大王膳」とある。これは王様の食膳を意味するのだが、われわれの信心に約していえば、精神的に飢えているわれわれが大御本尊の御前にいき、無量の功徳を頂戴できることを譬えたものであると思う。広布に活躍する皆さま方が、このように一堂に会して、妙法のもとに、何の利害もなく心清らかに広宣流布のために語りあうことは、いうならば王膳の会議ともいえまいか。
反目しあいながらの食膳は“修羅膳”、あさましい心でねたみながらの食膳は“餓鬼膳”、人をおとしいれようと陰謀をめぐらしながらの膳は“地獄膳”となってしまう。われわれの会議は、あくまでも御本尊のもとで、世界の広宣流布を願って信心と信心の結びあいの会議であるがゆえに、まことに尊いのである。
2 また、法華経に「人華」という言葉がある。妙法の光に照らされ、成仏を願って広宣流布に活躍していく人の美しさを、このようにたたえたともいえる。その功徳に満ちた華は、信心が躍り、功徳に薫る華といってよい。その華はよき香りを人々にもあたえ、わが身をも満たせる、いわば人生を充実させた満開の姿そのものをあらわすといってよい。
3 「仲良きことは美しい哉」と、ある日本の文学者はいった。ワシントンの友もたがいに仲よく、尊敬しあい、励ましあって、充実した人生を送っていただきたい。つまらぬ波風を起こして、修羅の世界をつくってはならない。それれではあまりにもわびしいからである。
インド応誕の釈尊は「破和合僧」は、父を殺し、母を殺すのと同等の罪であり、三悪道に堕ちると厳しく戒めている。それを自己のねたみ、感情、エゴから、御本尊受持の人を批判しあうことは、三悪道の因をつくっていることになる。ゆえに、たがいに戒めなければならない。
4 しかし、信心の大目的のため、自己の意見や主張を交わすことはとうぜんといってよい。中心者は、それぞれの意見を包容力をもって開き、その目的のために調和をはかっていっていただきたい。反目のための反目ではなく、信心と信頼の土壌のうえに立って、ぞんぶんに議論していくことは、進歩、発展の要因となることは論をまたない。
5 信心即生活でなければならない。信心活動には、潔く励んでいくべきだが、同時に生活、家庭も盤石にしていく社会人でなければならない。それが中道である。この相関関係を推し進め、成就していく中道の推進力こそ、御本尊への勤行・唱題であることを忘れてはならない。
6 よき人生を送るために信心強盛であるとともに、つねに余裕をもってご活躍をお願いしたい。余裕がある人には安心してついていける。また余裕があれば、誤りなく次の指標を見いだすこともできる。
最後に、ひたすら皆さんのご多幸を祈って、私のあいさつとする。