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日蓮大聖人・池田大作

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群馬センター開館3周年記念勤行会 旭日輝く信心、福運を

1978.12.27 「広布第二章の指針」第14巻

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2  御書に「いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし……」の一節がある。
 御本尊様への祈りの叶う叶わぬは、自分の信心のいかんによって決する。大事なのは自分の信心の確信であることを銘記されたい。
 みずからも励みをなし、また同志をも励ましつつ信行学に精進していくところに、信心は深まっていくものである。そのためにも誠意にあふれた粘り強い個人指導を、かさねて要望するものである。
3  幹部の話は、最大に会員のことを思いやり、的確な状況判断のもと、道理をもって、さわやかな希望を与え、だれもが納得のいくものでなければならない。押しつけ的な指導は、会員の方々に窮屈な思いをさせるだけである。
 会員の方々が安心して信心の向上をはかれるために、私どもの組織はある。ゆえに、理想的な秩序ある前進のためには、若く躍動する青年の力、また豊かな経験をもつ年配者の重厚な力――そうしたより大勢の、多彩な人々が”人は石垣・人は城”といわれるごとく、互いに協力、応援しあって、妙法広布の使命を果たしていくことが大事である。
4  実像の幸せを信心第一で
 御書の「一生はゆめの上・明日をせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」との一節を拝読したい。
 人間の、真実の幸、不幸は、一時的な短期の視点のみで判定できるものではない。きょうがよくても、あすはどうなるか、いな次の一瞬さえわからないのが人生の実相である。また、表面の姿からだけでもわからない。いかに経済的に恵まれ、名声を博したとしても、それは虚像である場合が多い。精神の内面においては、苦悩の波が間断なく渦巻いているものだ。
 また、今世は一見、幸せそうに送ったとしても、どのような臨終の姿になるかはわからない。さらには、来世への保証は何もない。永遠の生命という長遠の視点からみるならば、今世ははかない夢のようなものであると、大聖人様はお教えである。
 私どもは凡夫である。それぞれの宿命もある。信心していたとしても、悩みや苦しみがなくなるわけではない。しかし、御本尊様に南無していくことによって、私どもは今世において、煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱の三徳へと転じていくことができる。そして、三世永遠にわたる根本の大福運の根を張っていくことができるのである。
 たとえ今、いかに苦悩の環境にこの身があったとしても、最終的にはかならずや打開し、実像の幸福の人生を総仕上げできる妙法の威力を確信してほしい――。
 ゆえに、御本尊様はいかなることがあっても離さず、信心だけは貫き通していくことが大切である。

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