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日蓮大聖人・池田大作

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高知文化会館開館1周年記念勤行会 功徳無量の人生を共どもに

1978.12.6 「広布第二章の指針」第14巻

前後
2  すなわち、大御本尊を信受した私たちは、間違いなく功徳あふれる福運の人生を満喫することができるといえるのである。
 「是の故に是の経を無量義と名づく」一無量義といえども、根本の法たる南無妙法蓮華経の御本尊に納まってしまうのである。無量義も一法より生ずる、である。ゆえに、この妙法の一法より無量に開かれゆく法門も、すべて御本尊のもとに帰結するのである。
 「能く一切衆生をして、凡夫地に於いて……」とは、私たち御本尊を信受した一人ひとりが、その功力によって凡夫そのままの姿で、無量の功徳をうけていけるということである。
 大御本尊の偉大な功徳は、永遠不変であられる。この大御本尊に唱題するときに、私たちの内なる仏性が涌現されていくのである。それは、あたかも、路傍の草花が、その根のあるかぎり、いくら摘みとっても、時とともに繁茂するごとく、信心の根を張ることによって、わが身の当体に功徳のかぎりなき繁茂となっていくのである。
 ゆえに「此の経を不可思議の功徳力と号づく」とは、すなわち大御本尊の偉大なる功徳のことである。もはや、大御本尊を受持し、信じ行じたときには、功偲に満ちみちた一身の当体となっていくものである。その功徳の増長は、強盛なる信力と行力によることは当然である。その功徳の姿を社会のなかに示していくことが、また広宣流布の大切な修行の一つの姿ともなるのである。
 ”水の信心”と”団結の高知”、さらに”功徳の高知”としての楽土を見事に築きあげていかれますよう心よりお祈り申し上げ、本日の指導とさせていただきたい。

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