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日蓮大聖人・池田大作

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宮崎支部結成20周年記念勤行会 桜梅桃李の人生を

1978.8.11 「広布第二章の指針」第14巻

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3  (第三回)
 後輩の成長を楽しみとしながら、立派にこの世の人生を総仕上げしていただきたい。
 人間は皆、時とともに老いていく。しかし、妙法を信じて老いるか、妙法を知らずして老いるかの生き方には、一方は満足感につつまれ、後者は悔いを残すという歴然の差が生じてしまうものである。
 したがって、老いてなお、題目を唱え、後輩の育成にあたることは、永遠の福運を積みゆく最高の財を貯蓄しているようなものである。この仏法実践の法理をどこまでも確信し、生きいきと活躍していただきたい。
4  また青年部は、教学に全力をそそぎ、名実ともに次代を担い立つ実力を養っていってほしい。
 なかでも男子青年部は、それぞれの分野で、トップをめざし、社会のため民衆のためにも、いよいよ信心に励んでいってほしい。
 さらに子供をもつ婦人部員は、子供は福子である。今はたいへんでも、大きくなれば一家に大福運をもたらす使命の子であることを忘れないで、立派に育てあげてほしい。
 現実の苦悩との対決は多々あろうが、あとになって振り返ってみれば、すべて”よかった、よかった”となるのが信心の道なのである。それは幾十万、幾百万の先輩が見事に実証している。皆さん方も確信をもって、そうした先輩に続いていっていただきたい。
5  南無妙法蓮華経は、古今東西の学者が究め尽くそうとして究め尽くせずにきた、人間生命と宇宙根源の生命観を完全に説き示された偉大な法理である。そして、即身成仏というわれわれの最大の願望も、この御本尊への強い信心、絶えざる唱題、行学の実践のうえに結実していくのである。
 なかんずく大事なことは「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて」とあるとおり、正しい信心の道に生きることに尽きる。
 宮崎の皆さん方は、一人ひとりが信心を根本とした思い出深い歴史を築いていっていただきたい。
6  (第四回)
 牧口初代会長は、生前、戦地に赴く弟子に対して「絶対に生きて帰ってくるのだ」と厳しくも心あたたまる激励をして送り出したという。時代が大きく揺れ動いていたあの時世に、そして死ぬことをむしろ潔しとする風潮のなかで、人間生命の尊厳観のうえから、ずばり言いきったこの言葉に、仏法指導者の信念の姿勢がうかがえるのである。
7  御本仏日蓮大聖人は、末法の衆生がこの世の人生を最高に楽しく、最高に充実して生きぬいていけるために、御本尊をお残しくださったのである。
 すなわち、真実に幸せな人生を生きぬいていくための信心であり、一家をもっとも大切にし、栄えさせていくための仏道修行であることを重々に銘記されたい。
8  したがって、怨嫉したり、争いあうのでなく、互いの人格を尊重し、そして仲よく励ましあいながら、御法のため、広布のために尽くしていくことが大切である。その信心の姿に功徳は増し、自分も一家も興隆していくのである。このためにも健康であり、長寿であり、わが子を立派に育てながら円満の家庭を築いていただきたい。
9  さらに、だれびとも御本尊のもとにあっては、すべて平等なのである。人間として、もつとも楽しく有意義な人生をおくっていける誇りを忘れないで、どこまでも自分らしく、何があっても題目第一の人生を歩んでほしい。
 自分の住む家庭、地域を離れて、どこかに幸せの安住の地があると思うのは観念論である。御本尊まします自分の家庭、自分の地域こそ本有常住の寂光の大地であることを胸にきざみ、御本尊様から称賛をこうむる人生を送っていってほしい。
10  (第五回)
 人間の心ほど、微妙に瞬間瞬間に変化するものはない。きょうの感激を生涯忘れず、といっても生涯続くことはありえないし、刻々と変化していくものだ。まさにとらえところがないが、一生成仏のためには、その人間の微妙な心のなかにも確固たる道を開いていかなければならない。
 もったいなくも日蓮大聖人は、その根本の定めとして、われわれ末法の衆生のために御本尊を建立してくださったのである。楽しいときも苦しいときも、題目をあげながら”なんとかがんばろう””今にかならず開かれてくるのだ”と、懸命に努力していく。この繰り返しのなかで、おのずと、生きていることじたいがほんとうに楽しいといえる境涯に入っていくのである。
 そうなるための信心であり、仏道修行であることを忘れないで、どんなに苦しいこと、悲しいことがあっても、勤行だけは勇気をもって持続しぬいていってほしい。
11  順調のときも、そうでないときも、確固不動の信心の姿勢を貫いていく人こそ、まことの信仰者である。
 これまでの広布の途上においても、さまざまな縁で動揺し、信心に違背していった人もいるが、結局最後は、偉大なる御本尊のもとに帰ってきて、広布のために喜々として活躍するに至っている。この一つの事実からも、よいときも悪いときも、みずからの決めた信念の道を堂々と生きぬいていく地涌の勇者であっていただきたい。
 自分らしく生きることが大切である。あの人のようになりたいと考える必要はない。われわれはどこまでも自分らしく、自分の力に応じて広布に尽力していけばよいのである。それが桜梅桃李の原理なのである。
 どうか、仏法はもつとも身近にあることを深く銘記し、御本尊とともに進む自分こそこの世でいちばん幸せなのだ、と心に決めて、あとは朗らかに悠々と日々の仏道修行に励んでいただきたい。

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