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日蓮大聖人・池田大作

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第2回東京男女青年部合同部長会 広布大願の道を君ら継ぎゆけ

1978.3.4 「広布第二章の指針」第13巻

前後
6  二十万人の総登山を終えられた前会長は、四月一日の早朝に理境坊を出た。医師につきそわれ、注射を打ちながら東京へ帰られた。その翌日の四月二日の夕刻に、日大付属病院で逝去なされたのである。
 この点については、当時の聖教新聞にくわしく掲載されている。なお私も、いずれ小説「人間革命」第十二巻に残したい決心である。
 ともあれ恩師の遺体は、遺言どおり一週間、そのまま自宅に安置し、多数の親族、弟子一同が見守ったのである。半眼半口で立派な成仏の相であったことは、幾万人の人が如実にご覧になっている。
 常在寺で戸田家の告別式を行ったときは、十二万人の人が参列した。また四月二十日の青山葬儀場での学会葬には、二十五万人が集まり、お別れをしたのである。
 もったいなくも、当時の御法主上人猊下であられた日淳上人が大導師となって一切の法要を営んでいただいたことは、感謝の念でいっぱいである。そして現日達上人猊下が、当時は総監であられた。葬儀万般からすべてにわたって、深いご慈愛のもとにお世話してくださったことは、私どもとして終生忘れてはならない大恩なのである。
 諸君は若い。長い人生にあっては、これからも苦しいこと、いやなこと、悲しいこと、つらいこと、多々あるであろう。悪世末法に生きる者として、それは当然のことといってよい。また、そうした有為転変のなかに生きていればこそ、煩悩即菩提、生死即涅槃の人生が証明できるのである。
 したがって「能忍とは仏の謂」とあるごとく、ひとたび決めた信心の道、ひとたび連なった広布の道を歩みゆくことを、何があっても断じて忘れてはならない。
 ともかく「持妙法華問答抄」の一節――「生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり」を深く身に体していただきたい。
 すべて大御本尊のご照覧あることを確信し、ひたすら大良薬を飲みながら、威光勢力を増し、すばらしい青春時代を飾っていただきたいことを心より祈って、私の指導としたい。

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