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日蓮大聖人・池田大作

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全国各部代表者会議 個人指導の伝統の確立を

1978.2.26 「広布第二章の指針」第12巻

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3  仏法者の正しいあり方
 「本因妙抄」にいわく「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり、是を天真てんしん独朗どくろうの即身成仏と名く」と。なにがあっても、ただ南無妙法蓮華経と御本尊に祈り唱題することである。それが根本であり、目的である。枝葉末節の議論にとらわれて根本を忘れたり、目的を忘れたりしてはならない。
 他の人が悪いと思ったり、批判しあったりするまえに、すべて題目を唱え、事態をよくするためにみずからが最大の努力を尽くしていくのが、仏法者の正しい姿勢である。自分が変われば人も変わるという依正不二の原理を銘記されたい。仏法者は、すべてを善知識と自覚して、奮い立って変毒為薬をせしめていかなければならないからだ。
 私も無量の非難をされてきた。しかし人を憎むのでなく、ただひたすら、みずからの信念のままに、御本尊に祈りながら、大胆に広布の実践をしてきたつもりである。
 また、やりすぎたならば反省する。初代会長も、よく「逡巡して事をせずんば悪である。実践しぬいてまた反省するのが善である」といわれていたようだ。愚者であり凡夫であるわれわれは、まず実践する。そして、また反省しながら、実践することを繰り返す以外にないだろう。
 中国の哲人の言葉に「力以って仁を仮る者は覇なり」「徳を以て仁を行なう者は王たり」とある。
 仏法者の実践は、慈悲の行為でなければならない。それが、徳をもって仁を行うことである。すなわち、真実の誠意、誠実、慈悲の心から、徳が生まれるからである。
 多数をたのんで、威張ってもならない。また権威や権力や官僚主義で、事にあたってはならない。この意味から、一人ひとりが信心を根本に、福徳を積みながらの光り輝く人間でありたいものだ。
 学会も真剣なあまり、また未熟なために、いままでもさまざまなことがあった。またこれからも、広宣流布は遂行しなければならないし、凡夫であるわれわれのなすことであるがゆえに、さまざまなことが起こるかもしれない。しかし、あくまでもわれわれは人々に迷惑をかけないように厳重に注意し、戒めあっていきたい。
 清純にして強盛なる信心があるならば「大事になりぬれば必ず大なる・さはぎが大なる幸となるなり」となることを強く確信して、けっして臆することなく、進まざるは退転となってしまうがゆえに、着実に前進していきたいものである。
 牧口先生以来の学会指導の伝統をふむ和泉副会長、辻副会長は、全力をあげて個人指導にあたっておられる。個人指導をたんねんにしている支部は、信心も深く確信も強い。また生きいきとしている。したがって、そのような支部ならば、前進もし、安定もしている。また明るく余裕があるようになっている。ただ表面的な多数の前での指導のみでは、どうしても信心も深まらず、功徳のわき方が少ない。心して一対一の粘り強い信心向上のための個人指導を忘れないようお願いしたい。
 感情的な愚かな指導であっては、内外ともに大なる広宣流布の妨げとなる。心してわれわれは、信心、生活の足元を固めなければならない。
 最後に、広宣流布にご活躍くださっているわが愛する幹部諸兄の、ご一家の繁栄とご多幸とご健康を心からお祈り申し上げ、私の本日の指導とさせていただきたい。

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