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日蓮大聖人・池田大作

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奈良支部結成17周年記念幹部会 人生行路に信心、福運の根を

1978.1.25 「広布第二章の指針」第12巻

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1  万葉の香りも高き白鳳山明日香文化会館で、久方ぶりに奈良の同志の皆さまと、勤行、唱題し、ともどもに広宣流布を祈念し、自身の一生成仏を願い、また先祖代々の追善法要ができたことを、最大の幸福としみじみ感ずるものである。
 奈良へきて思うことは、若草山のことである。その若草山はかならず一年に一回、山焼きといって焼かれるという。しかし、その焼かれた若草山には、かならずまた春になれば、根があるがゆえに、若草が萌え出ずる。
 人生もまた、同じである。根がある人は、かならずまた栄える。その根とは、信心であり、福運である。その根をより強く、よりたくましく張っていくならば、一族、眷属が永遠に繁栄しゆくのである。また、和合僧という根を、地域に張りめぐらせていけば、いかに三障四魔の火で焼かれても、また時がくれば、青々と蘇生していくことは間違いないであろう。
 自信をもって、けっしてあせらず着実に、自身の福運の根と信心の根を、また地域の広宣流布の根を張っていただきたい。
2  大聖人の仏法は”悟りの哲学”
 私たちは、末法の御本仏日蓮大聖人の信者である。大聖人は、三世を悟られた仏様であられる。その御本仏の仏法を、われわれは如説修行しているのである。
 日蓮大聖人が”悟り”を究められたがゆえに、その教えどおりに実践すれば、私たちはすべて成仏できるのである。悟りのない宗教、哲学をいくら信奉しても、悟れるわけはない。大聖人の仏法は、矛盾のない哲理である。
 「曾谷殿御返事」に「釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云い智水はかり難き故に無量と云う」」とあるように、行き詰まることはないのである。仏法が行き詰まりのない、広大無辺にして永遠の法則であるから、それを信じ行ずるわれわれの人生にも行き詰まりがない。
 行き詰まりがないということは自由自在ということであり、ゆえにわれわれは、諸行無常の人生観に対して自受法楽、苦集滅道に対して常楽我浄なのである。
3  その偉大な仏法も、行じていく場は世間のなかである。「減劫御書」に「智者とは世間の法より外に仏法をおこなわ」とあるとおりである。
 日蓮正宗創価学会は、この大白法を世間に展開することを使命として誕生し、発展してきた。この仏法の社会への昇華の運動が化儀の広宣流布といえると思う。
 日蓮大聖人は「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」と仰せである。
 日興上人は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」といわれている。また日目上人の、国主諌暁のために美濃の垂井にてご遷化なされたお姿は、これらの御文そのままである。
 さらに日寛上人は「一葉落つる時は皆秋を知る。一華開ける目は天下の春なり。豈広宣流布に非ずや。(中略)若し爾らば終には上一人より下万民に至るまで一同に他事を捨てて皆南無妙法蓮華経と唱うべし。順縁広布何ぞ之を疑うべけんや。時を待つべきのみ」(撰時抄文段)と仰せになっている。
 しかも、その峻厳な仏法の実践者たるものは――「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば心が謗法に同ずるなり。口に折伏を言わずんば口が謗法に同ずるなり。手に珠数を持ちて本尊に向わざれば身が謗法に同ずるなり」(如説修行抄筆記)という戒めを重んじなければならない。ゆえに学会は、かずかずの難をうけながらも、御聖訓のままに実践をしてきた。
4  大聖人、日興上人の御遺命のままに、殉教の活躍をした方々は多いけれども、近年においては、かの太平洋戦争下において軍部権力の弾圧をうけ、微塵も屈せず戦いぬいて、広宣流布の突破口を開いてくださったのが、牧口初代会長であり、戸田第二代会長であった。
 私どもは、牧口会長、戸田会長がおられたがゆえに、御本尊を知り、御書を知り、広宣流布という、人間にとって最高の生きがいを得ることができたわけである。ゆえに、この両会長を報恩し、顕彰するのは、門下生として、人間として、信仰者として、当然のことといってよい。
 この文化会館をはじめ、主要な会館には、その意義から、恩師記念室を数年前から設置させていただいている。戸田前会長も、たびたび牧口初代会長の遺品を、将来、保管するようにいっておられた。狭い部屋であるが、御法主上人猊下おしたための特別御形木御本尊を根本として、両会長の位牌も安置申し上げてあるがゆえに、唱題し、熱烈たる信仰殉教の歴史と足跡をとどめる獄中の手紙、揮毫、原稿等々、両会長の記念の遺品を参観して、末弟のわれらの指標と信心の糧にしていただければ幸いである。
5  次に、聖教新聞は、仏法哲学、広宣流布の指標、信心の指導、教学の解説浸透等々、人生観、生命観、宇宙観を極め、人生、生活のうえに具現するうえにおいて、まことに大切な機関紙である。いうなれば、聖教新聞は、日蓮大聖人の法門を実践しゆく規範であり、大切な人生行路の指針ともいってよい。
 その機関紙を、寒風の日も、雪の降る日も、黙々と朝早く配達してくださる無冠の友を、私は最大の感謝の念をもって賛嘆したいのである。ある配達員の方は、一流会社の重役であったり、ある人は博士の夫人であったり、またある人は、平凡な主婦、勤めに行く前のサラリーマンであったり、まさに多士済々である。それら多数の老若男女の、心から広布を実践し、心から法友のために奉仕してくださる方々に対して、私どもはあつい真心をもって、その方々の無事故と健康を祈り、感謝し、そして偉大なる同志として、大切にしていかなければならない。
 最後に、奈良創価学会のますますの発展と全同志のご多幸を心より祈り、かつまた、多数のご来席の方々に感謝申し上げ、本日の指導としたい。

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