Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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愛媛県幹部会 潔い信心で常識の人生歩め

1978.1.17 「広布第二章の指針」第12巻

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5  「松野殿御返事」には、十四誹誇が説かれている。御本尊を受持したとしても、もつとも厳戒しなければならないのは、最後の軽善・憎善・嫉善・恨善である。
 さまざまな謗法も当然戒めなければねらないが、それ以上に、御本尊受持の人を憎んだり、軽蔑したり、恨んだり、嫉妬した場合には、功徳を消すのみならず、堕地獄であるというのが、大聖人の御聖訓なのである。
 したがって、御本尊受持の法友は、この御書を身に体していかなければ、いくら正法正義とロではいっても、心は大聖人のお心に反し、仏法に弓を引いていることになってしまう。
 われわれは平凡でいい。常識的な人生でよい。背伸びする必要はない。ただひとすじに、日蓮大聖人即御本尊に対し奉り、潔い信心と折伏と正しい生活のリズムを歩んでゆけば、もはやそれ自体が人間としての最高の位であり、成仏の直道を歩んでいるのである。どうか、そのことを深く自覚されたい。
6  教学試験に落ちて残念がっている人もあろうが、御本尊に南無しゆけば大功徳があることは、教学試験の合否にはかかわりないことを確信されたい。さらにいえば、学歴がなくても信心があれば成仏は間違いないし、過去にいかなる罪業がある人であったとしても、すべて救われるのである。
 しょせん、ひたすらに題目をあげきり、素直な求道者であることが、ただただ肝要である。
7  人間は、それぞれ、個々の宿命を背負っているといってよい。しかし、その宿命に泣き、流され、いかにもがいてもどうしようもなく、そのままあきらめてしまう人生もまた多い。
 自動車は止まっていれば、だれが押しても重いし、動かない。しかし、エンジンをかけて動かせば、たやすく右にも左にも走っていけるのである。と同じく、信心のエンジンを回転させれば、過去世よりの罪業的宿命も、しだいに自己の欲する宿命転換への幸せの道へ走り行くことができることを確信してほしい。
 皆さん方の健康ならびにいちだんの健闘を心よりお祈り申し上げ、本日の指導としたい。

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