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日蓮大聖人・池田大作

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山口広布開拓20周年記念勤行会 妙法広宣はわが家の福徳

1977.5.21 「広布第二章の指針」第10巻

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3  強盛な信心が根本
 「四条金吾殿御返事」に「弘決第八に云く「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」云云、神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれども・つかう人によりて物をきり候か」との一節がある。
 これは、自分自身の信心の”心固き”一念の姿勢のみが、われわれを守護する諸天善神の働きを引き出すことができるのだという重要な御文である。すなわち、その人の信心が強盛であるかどうかが、一切のポイントであるとのご教示なのである。
 したがって、いくら御本尊をたもっていても、簡単に退転してしまうような弱い信心では、諸天善神の守護もありえないし、成仏もかなわないのである。
 よく、信仰をたもっているのになぜ、と疑う人の話を耳にする。たとえば、病気になるのがおかしい、といった話であるが、われわれ信仰者の目的は、病気になったかならないかのたんなる現象に惑わされたり、紛動されることにあるのではない。その病魔をいかに冥伏させ、力強い健康体を回復させるか――その強靱な生命力の鍛練と蘇生にあることを忘れてはならない。
 たしかに釈迦仏法において「少病少悩」と説いているが、現在は悪世末法であり、時代相が異なる。人間の機根も生活環境もけっしてよいとはいえない。だからこそ、たとえ病気になったとしても、その病魔と敢然と戦いぬく不退にして不屈の信仰が第一となってくるのである。
 いかなる病でも、それに勝つには生命力を強くする信仰しかない。ゆえに御本尊に直結した仏法者として、なにがあっても勇気を満々とたたえて題目を唱えぬいていくこの根本姿勢の確立が、即安穏の入生を開いていくことを知っていただきたい。
 また「弥源太殿御返事」の一節に「但し日蓮をつえはしらとも・たのみ給うべし……現世安穏・後生善処の御経なり」とある。これは、後生にあっても、結局、頼るべき根本はこの妙法しかないことを明かされたものである。
 「生死一大事血脈抄」に「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」と説かれているように、日蓮大聖人のおおせのままに、一生涯にわたって信心の血脈が流れ通う正信の仏道修行を持続していくならば、後生も安心立命の境涯を確立していけることは絶対に間違いない。
 ただひたすらに、御本尊に題目を唱えていくことにより、三世十方の仏菩薩もすべて用の仏として使いきっていく大福運の人生を築いていかれることを、心から念願している。(要旨)

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