Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

山口文化会館開館記念勤行会 信仰はまず20年を節に

1977.5.20 「広布第二章の指針」第10巻

前後
5  修行の根本は行動
 「乙御前母御書」に次のような一節がある。
 「釈迦如来の御弟子あまた・をわしし・なかに十大弟子とて十人ましまししが・なかに目犍連尊者と申せし人は神通第一にてをはしき、四天下と申して日月のめぐり給うところをかみすぢ一すぢらざるにめぐり給いき、これは・いかなるゆへぞと・たづぬれば・せんしやう先生に千里ありしところを・かよいて仏法を聴聞せしゆへなり、又天台大師の御弟子に章安と申せし人は万里をわけて法華経をきかせ給へり、伝教大師は二千里をすぎて止観をならい・玄奘三蔵は二十万里をゆきて般若経を得給へり
 釈迦の十大弟子の一人である目健連尊者が、日月がめぐりめぐる四天下とは当時の全インドの意味であるが、そこを、悠々たる自在の境涯で仏法を流布しながら旅行できた。その原因は、過去世に仏法の法理を聴くため千里の道を通ったからである。また、章安、伝教等にしても、仏法を求めるための行動を惜しまなかったというのである。
 この御書の法理に照らして、広宣流布のための日々、活動に励む私どもの立場を考えるならば、これらの声聞や、迹化、他方の菩薩に対して、われらのそれは、本覚の如来の菩薩の行である。ゆえに私どもの実践活動は、そのまま”如来の行”であり、その功徳も無量無辺なのである。
 人それぞれに宿命があるように、一生成仏をめざすうえにおいても、それ相応の過程があり、リズムがあることは当然である。しかし、どんな境遇であっても「煩悩即菩提」の原理を確信し、持続の信仰を貫いていくことが大切である。
 信仰をもつことは、人間としての自己建設であり、最高の生きがいの道といってよい。逆に信仰をもたない場合は、自らの人生を不幸の習性へと追い込んでしまう危険性を、つねにはらんでいるといえるのである。ここに信仰をもつ本義があり、御本尊をすべての人に受持せしめんとする創価学会の重大な存在意義があるのである。
 きょうお集まりの皆さん方は、そして全山口の同志は、どこまでも長寿を全うし、二十年後のきょうをめざして、衆生所遊楽の人生を歩んでいかれるよう、心から念願してやまない。(要旨)

1
5