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日蓮大聖人・池田大作

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会長就任17周年記念勤行会 わが家を小霊鷲山の家庭に

1977.5.4 「広布第二章の指針」第10巻

前後
1  いつも申し上げることであるが、私の最大の願いは、全会員の一人ひとりが、安穏な生活、福運に満ちみちた幸せな人生を確立していただきたいことである。
 この二十数年間で、大聖人の仏法は、皆さん方のお力によって立派に世界宗教としての大興隆をみるにいたった。また、学会を基盤としたさまざまな文化運動も、いちおうの成果を収めることができた。これからは、これら平和と文化の諸活動の”母体”であるわが成仏根本の創価学会の総仕上げに全力をあげていきたい。
 すなわち、今後は”創価の時代”建設ともいうべき活動に、挺身していきたいというのが、私の責務であり、それがもっとも正しい道であると信ずる。
 この意味からも、妙法の五字七字にちなみ、近くは学会創立五十厨年、遠くは七十周年を目標に、唱題に唱題を重ね、人生最高の喜びを享受できるようね信心即生活の日々を、着実に送っていただきたい。
2  日蓮大聖人の仏法は「事の一念三千」の「事」の仏法であり、実践の仏法である。御本尊に題目を唱え、行学に励んでいくーこの「信・行・学」の基本に根ざした反復作業こそが、日蓮大聖人の仏法の真髄なのである。
 この「事」の仏法を行ずる信心の「功徳」について、御書には「功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と説かれている。
 実践面からいうねらば、この御文は、折伏弘教の学会活動をすることじたいが「事の一念三千」を現じていることになり、それが即「功徳」に通ずるとの意味である。すなわち、仏法広布に励む行動それ自体に「功徳」の本因が積まれているのである。
 したがって、信心の功徳の花を爛漫と咲かせ、大聖人のおおせどおりの仏道修行へと人々を向かわせる創価学会の存在ほど尊いものはないと申し上げておきたい。
 この自らの信心を薫発、向上させ、福運の増進をもたらす学会の存在に対して、われわれは最大に感謝もし、大切にしていかなければならないことは当然である。
 学会は、日蓮大聖人の御聖訓どおりに行動している”事の教団”であり、この尊い教団に名を連ねる仏子、すなわち学会員を仏法の法理にそむいて非難、中傷すれば、反価値を生ずることもまた事実となる。
 最近、さまざまな事例をとおして、会員一人ひとりが大きく福運を開いていることを痛感する。福運の「事実」ほど強く、尊いものはないことを確信するし、また信心即生活の原理からいっても、自らの生活をさらに大切にし、事実のうえで立派に総仕上げしてほしいことを念願してやまない。各人においては、どこまでも自身を大切にし、「わが家が”小霊鷲山”である」といえるようになっていただきたい。
3  最高の和合僧団である学会は、また、もっとも人間としての幸せと喜びを共有できる感応の世界でもある。この最高の人間社会を着々と盤石にしつつ、きょう参集した皆さん方は一人ももれなく、壮健な姿で創立七十周年の西暦二〇〇〇年へ向け、新たな登攀を開始していただきたい。
 信仰は自らの生活を楽しみ、宿命を打開するためのものであり、けっして窮屈に考えることはない。
 明年の五月三日をめざし、いちだんと境涯を高め、裕福になり、人間革命の光をも浴びながら、有意義で朗らかな人生を送っていかれるよう心から願っている。(要旨)

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