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創価大学第7回入学式――記念講演 知識を鋭く求めぬく努力を

1977.4.8 「広布第二章の指針」第10巻

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4  ”人間第一主義”の時代へ
 ところでその”原点”とは何か。結論していえば、私は”人間”そのものであると申し上げたい。
 明治以来の日本社会の近代化の過程を術轍してみれば、戦前までの社会は、軍事が先行して人間がその後からついていった。それに対し戦後二十数年間は、経済が先行して人間が二の次にされてきたという事実であります。その軌道の誤りが、わが国を抜きさしならぬ袋小路に追い込んだ現状をみれば、今後の日本社会は、あくまで人間を第一義とし、そこを”原点”として、あらゆるものを位置づけていくことが、焦眉の急務であると申し上げたい。
 大学教育の場も同様であります。”なぜ””なんのため”という”原点”への問いに、確たる回答を示しえないようでは、二十一世紀への道標を掲げることなど、不可能に近い。その意味からも私は、創価大学の建学のモットーである人間教育が、時代の流れとともに、ひときわ輝いていくであろうことを確信してやみません。
 仏法には「一大事」という哲理が説かれている。この言葉は、本来、仏法用語でありながら、広く一般世間でも使われております。たとえば、諸君が入学試験に受かるか落ちるかは一大事である。また大久保彦左衛門の口グセであった「天下の一大事!」、たしかにそれも一大事にはちがいありませんが、それが本来の仏法用語の意味であるとされますと、またそれこそ私には一大事なのであります。
 仏法の本義からすれば、一大事の”一”とは、現代風にいえば”原点”ということなのであります。人間が生きていくうえでの根本の指針である哲学の存在を意味している。
 一大事の”大”とは、原点より発して社会、自然、宇宙へと展開しゆく生命の拡大、知恵の発現をいうのであります。
 そして一大事の”事”とは、生命の拡大、知恵の発現といっても、観念の世界にとどまるものではなく、事実のうえに刻まれるということから”事”というのであります。
 したがって一大事の”大”や”事”は、われわれの精神面、物質面の転変しつづける活動の側面であるともいえるわけであります。その活動を支える主体が一大事の”一”である。すなわち、それが”原点となるのであります。
 私は仏法者でありますから、仏法の哲理のうえから申し上げましたが、学問であれ、思想、哲学であれ、かならずなんらかの”原点”から出発しているものであります。そしてそこには、角度こそ異なれ、人間への思いが込められているものなのであります。
 ともあれ、創価大学は、遊びの場でも、権威の場でもない。あくまでも真剣に学理を探究し、深化させていく人間の学舎であります。したがって真理、学理の探究に努力しない人は、建学の精神に反する人であります。そういう創大卒業生であってはならない。ともかく、多くの後輩たちに、社会にあって、人生にあって、肩身の狭い思いをさせていくよう瓶先輩にだけはなっていただきたくないのであります。
 最後に、諸君は私よりも三十歳以上も若い。二十一世紀には、四十歳代の働き盛りであります。この若き群像に、二十一世紀のリーダーシップを託したいというのが、私のせつたる念願であります。その意味においても、私はこれからも、陰ながらたびたび、諸君の激励のためにお邪魔するつもりであります。
 願わくはこの四年間が、知識を求めに求めぬいていく四年間でありますことを心からお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。(大拍手)

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