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第三東京教育部研修会 さわやかな勤行儀式のために

1977.3.30 「広布第二章の指針」第10巻

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4  勤行のさいの唱題行の基本
 ところで、現実問題として、いったい五座三座の勤行のときの題目は、どのくらい唱えたらよいのかという問い合わせや質問が、これまで各地の会員から、しばしば寄せられます。遠く海外各国のメンバーからも、同様の趣旨の声がきております。
 これに対して、県長会議でもひとつの基本線を出すべきであるとの意見が出され、これを受けて副会長室会議でも、この方向にそって結論を出すことになり、これまで慎重な検討が続けられてきたのであります。その結論の内容を、次に申し上げたい。
 まず、唱題目標の基本となるものを決めるべきであるという理由は、一千数百万人にもおよぶ会員を擁するにいたった今日の学会の現状を思うとき、全会員が、より理解し納得できるよう、その基本路線を明確にすることが重要となってきたからであります。
 広宣流布の最重要基盤は家庭にあるといっても過言ではない。その家庭における家族一人ひとりの日常生活に深く思いをめぐらせるとき、勤行に対する姿勢も一律的には考えられない多次元にわたる様相をおびていることも事実であります。ある家庭には、お年寄りもいれば、青春を謳歌する青年もいる。また早朝出勤のご主人もいようし、病気で体調を崩している人もいるかもしれない等々で、人それぞれに千差万別の境遇と環境のなかで生活しているわけであります。
 こうした家庭状況のなかで、ともどもに家族がそろって勤行、唱題したとしても、なかには、ある一定の唱題をしなければ、なんとなく信心が弱いように思い込んでいる人もいないとはかぎらない。とくに仕事が多忙つづきであったり、夜遅く帰宅した場合などは、なかなかたいへんなことです。
 ともかく勤行のさい、何千遍もの唱題をしなければ信心が弱いという、きゅうくつな固定した概念は、本人の信心を阻害してしまう場合がある。信心は一生の問題であるがゆえに、淡々と水のごとくいくべきものである、と強調しておきたいのであります。”おがみ屋”みたいに掃除も洗濯もしないで唱題ばかりしていたとしたら、それは非常識であり、法を下げてしまうことも、よく留意すべきでありましよう。
 勤行、唱題行は、われわれ人間の生命を日々躍動させていくために持続していくものであります。ゆえにいついかなる場合でも、さわやかに、はつらつと、背筋を伸ばして凛々しく行っていくことが正しい。
 会議では、こうした”信心は一生にわたるものである”という仏道修行の本義に立ち、仏法即社会の道理のうえから、総合的に検討した結果、一つの基本線として勤行のさいの唱題の数は、朝の五座の場合は二百遍、夜の三座は二百ないし三百遍ぐらいが、もっとも妥当であろうとの結論に達したわけであります。
 数人で朝晩の勤行を行う場合、五座三座の勤行においては、二百ないし三百遍の唱題を朗々として、さわやかに一度終了する。その後は、各人の状況に応じて何遍唱えようとも自由にする――という原則であります。
 したがって、唱題の実践は、人それぞれの状況によって、その人自身の自発的意思を最大限に尊重するという原則ともなるわけであります。
 たとえば、入信してまもない新会員にとっては”自分はいままで題目の蓄積が先輩より少ないから、他の人よりよけいに唱題していこう”という心がけも結構なことです。
 また、重大な宿命転換の問題に直面した人には、前会長も個々に指導されたとおり、”百万遍の唱題を”というときもあります。このように、それ相応の姿勢で、自分自身の生命を蘇生させる強盛な唱題を貫いていくことが、もっとも大切なことです。
5  生涯にわたり”水の信心”
 いずれにしても自らの決意による自発の唱題が大事であるといっても、実際はたいへんな修行です。しかし、たいへんとはいっても、それが一切の根本修行ですから、持続させていくことが信心であるということを、銘記していただきたいのです。数多く題目を唱えることもたいへん尊いことでありますが、しかし、そのように数のみにとらわれて、毎日毎日が負担を感じるようであってはならないということであります。
 朝晩の五座三座の勤行、ならびに二百ないし三百遍の唱題の励行で、功徳も絶対に変わりないことを申し上げておきます。
 日蓮大聖人の御書には、一遍の唱題に無量の功徳があるとも説かれている。「南無妙法蓮華経と只一遍唱えまいらせ候いおわんぬ、いとをしみ最愛の御子を霊山浄土へ決定無有疑と送りまいらせんがためなり」と。
 勤行は、水の流れるように間断なく、生涯にわたる実践が大切であります。日々たゆみなく実践するーこの精進行が生命の連続革命となるのであります。自身の生活環境に応じ、原則をふまえてのすがすがしい勤行の持続こそが、御聖訓に説かれている”水の信心”の結晶であることを自覚してください。(拍手)

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