Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第五東京男子部勤行会 わが生命に”妙法の勲章”を

1977.2.22 「広布第二章の指針」第9巻

前後
4  広布の本流に生きよ
 創価学会は仏法流布のゆえに、いわれなき中傷、批判の脚を浴びてきた。しかし、御金言どおりに前進し、経文どおりに歩んできたゆえに、事実として、今日の世界的な平和と文化の大仏法教団となったのである。こうした崇高な広布の歴史においても、日蓮大聖人ご在世当時から変わらぬ原理として違背の道に堕し、破和合僧という仏法上もっとも罪が重い生き方に身をまかせた人々がいたことも事実である。
 こうした信仰の本義から逸脱した人間の生き方というものは、往々にして非常識な”火の信心”から始まっていることに注目しなければならない。そうした人間は、ごく一部であるとはいうものの、例外なく本部の指導を無視するばかりでなく、その振る舞いはすべて我見であり、我慢偏執の”はったり的”な言動にもとづいているといってよい。この欺瞞的な非常識が社会悪を引き起こし、大勢の人々に迷惑をかけてきた。
 反逆者の傾向性というものは、大聖人ご在世当時の三位房等の例でも明らかなごとく、驕慢と臆病な生命から発している。「日蓮がくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人びゃくにん」の御文そのままに、それは、自分こそ最高に偉い人間と思いあがった存在にほかならない。臆病で騎慢な習性は、機をうかがい、相手が弱まったとみるや、謗法と結託して派閥をつくり、社会的な事件等を引き起こし、結局、最後は敗北の姿を現ずるであろう。
 仏法違背の行く末は、かくも厳しい仏法因果の明鏡に、歴然と残されていくわけである。われわれはこれまで、こうしたいくつかの例証に対してもあえて、その本源的次元からの蘇生に期待し、慈愛の光線を送り続けてきた。ここに、世間的な次元からでは理解することのできない、真実の仏法教団としての存在意義があることを知っていただきたい。
 ともかく諸君は、正義をもっとも尊び、邪悪には一歩も退かずに民衆のために戦ってきた学会員であることに、最大の誇りをもっていただきたい。諸君には、これからの時代を担う偉大な使命がある。その崇高な前途を放棄して、恩を仇で返すような人生であってはならない。信仰の本流に生きぬく本格派の人間として、後輩とともどもに、魅力と実力ある広布の指導者に大成していくよう心から期待している。(要旨)

1
4