Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回農村・団地部勤行会 仏法下種の灯台たれ

1977.2.17 「広布第二章の指針」第9巻

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4  現実の苦悩に直面すると、どうしても方法論が先立って題目が従になるという姿勢に陥りがちだが、けっしてそうであってはならない。たとえば病気になったとする。どうして病気になったのかということをうんぬんするより、一にも二にも、まず勤行して唱題する。この根本の姿勢を確立したうえで最善の方法論を生み出し、また遂行していく――これが直達正観の信仰の直道であることを知っていただきたいのである。
 現実の生活、活動を推進していくにあたっては、聡明であってほしい。また思うぞんぶん実力を発揮しゆく社会の勝利者となってもらいたい。
 「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」とのご聖訓もあるとおり、愚かな振る舞いは法を下げてしまうことを、よくよく銘記されたい。
 末法は「闘諍言訟」と経文にもあるとおり、あらゆる策略と矯慢がうずまいている時代でもある。だからこそ、日々絶えまない唱題で無限の知恵を湧現し、あらゆる方法論を講じ、最善を尽くして、仏法は勝負なり一の証を樹立していただきたい。
 ともかく、御本尊に題目を唱えぬくこと自体が、「直達正観」であるとともに、そこにはすでに「正了縁の仏性」という、仏果を証する三種の仏種が薫発されているのである。長い人生の遠征途上には、苦しいことも多々あろうが、皆さん方は、そうした現象を超越して、御本尊第一という信仰の根本義に立脚した人生を生きぬいてほしい。
 「依報正報・常に妙経を宣ぶ」「一身一念法界に遍し」ともあるとおり、この宇宙の生成、依正の関係はことごとく妙法によって成り立っている。たとえ一時的に行き詰まっても「妙とは蘇生の義なり」で、そこからまた、題目によって新たな生命力、新たな福運の泉を湧現していけるのである。この繰り返しが人生であることを忘れずに、明るくさっそうと前進していってください。(要旨)

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