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日蓮大聖人・池田大作

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御聖誕御報恩記念勤行会 「御本尊」と「御書」がわれらの根本

1977.2.16 「広布第二章の指針」第9巻

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3  広宣流布に挺身
 次に「日興遺誠置文」には、これまで私どもがつねに肝に銘じてきた有名な一節があります。それは「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」という厳然たるご指南であります。
 広宣流布ということを忘れたら、もはや、大聖人の仏法ではありません。また、この日興上人の遺誠置文どおり、広宣流布のために戦っている創価学会を軽んじることは、即日興上人のご遺誠を軽んじ、同時に日蓮大聖人のご精神に反するものであります。皆さん、この点いかがでしょうか。(大拍手)
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」という一項目は、遺誠置文のなかでも、実践面の根幹をなすものであり、これは日蓮門下として絶対に忘れてはならない一か条であります。この一条を忘れた瞬問から、もはや、形式はどうあれ、その人の胸には、仏法は死滅するのであります。創価学会は今口まで、愚直のごとく、ただひたすら、幾多の難を受けながら、このご遺誠をわが生命に刻んで前進してきたのであります。
 この結果、事実として国内では一千万人を超える人々が、大聖人の仏法の陽光に浴しております。海外においては、八十数か国へ、この仏法がおよび、文化と平和の貢献をなしつつあります。仏法が、このように生きいきと民衆の生活のなかで日々に躍動し、広く深く社会へ、そして全世界へ流布したことは仏教史上、かってなかったのであります。
 この現実と事実の姿にこそ、日蓮正宗創価学会が、いかに大聖人のご遺命どおり、広宣流布のために、偏身に汗を流しつづけてきたか、明白でありましょう。
 日達上人猊下は、かつてこの創価学会に対し、謗言をなす人間が、どのような結末となっていくかを訓諭において、次のように断言しておられる。
 「若し聊爾たりとも、此の清浄無比にして護惜建立の赤誠に燃ゆる一大和合僧団創価学会に対し、実にもあれ不実にもあれ謬見を懐き謗言を恣にする者ありとせば、其籍、宗の内外に在るを問わず、全て是れ、広布の浄業を阻礙する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂ふべし」と。
 この意味は、創価学会という一大和合僧団に対し、たとえ、実にもあれ、不実にもあれ、中傷、非難する者があれば、その人が日蓮正宗の内部に籍をおく人であっても、また外部の人間であっても、すべてこれは、広宣流布という清浄な行を妨害する大僻見の人であり、無間地獄へおちていくと明言されたものなのであります。
 広宣流布に挺身していくということは、これほど偉大であり、かつ尊いものであることを銘記していただきたいのであります。
 私どもは「御本尊」と「御書」を第一と確認しあい、大聖人御聖誕の佳き日に、誓いを新たにしたいと思うのでございます。本日は、たいへんありがとうございました。(大拍手)

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