Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

三重の日記念勤行会 御本尊根本に大乗の人生を

1976.10.4 「広布第二章の指針」第9巻

前後
4  大乗の人生を
 人生のありさまは大別すると「外道の人生」「小乗の人生」「大乗の人生」――この三つになろうかと思います。
 「外道の人生」とは、仏法で説く生命の因果の理法をわきまえない生き方であるといってよい。この人生をいかに生きるべきか、この世で何をなすべきか、また、どのように社会に貢献していくかという確たる信念ももたず、自らのエゴに支配された刹那的、虚無的な生き方であるともいえましょう。
 また「小乗の人生」とは、政治、経済、芸術、科学等、それぞれの分野で活躍していながらも、自分のみの名聞名利にきゅうきゅうとし、民衆の幸せを真に願望していけない生き方といってよい。世の指導的立揚にある人は、すべて本来は「大乗の人生」でなければならない。民衆を幸せの路線に”乗せる”指導者でなくてはならないのであります。しかしたがら、利害のみに終始したり、地位や名誉が、自分を立派に見せようとする”手段”となっているところに、世の中の不幸の根本因があるといわざるをえない。
 これに対して私どもは「大乗の人生」を歩んでおります。妙法という空間的には宇宙大、時間的には永遠、また内証的には成仏、哲学的には悟りの哲理を根本とし、これを人々に教え、自分も実践しております。いわば「大乗の人生」とは、常楽我浄の人生なのであります。
 すなわち、南無妙法蓮華経という永遠常住の法を胸中に存しながら、人々にも教えひろめていくことが即”常楽我浄”の生命を堅持していく生き方となり、諸行無常の人生にあって内なる”大我”の生命を確立していく唯一の法則なのであります。したがって、この妙法の実践に生きる人は、意識する、しないにかかわらず、なにものにも紛動されない生命の永遠性に生きることができるのであります。
 皆さん方のなかには、厳しい宿命との戦いの最中におられる方もいるかもしれない。乱世ゆえに、これからもありとあらゆる批判、中傷もあると思う。しかし、御本仏日蓮大聖人は、あの流罪の地・佐渡にあっても「喜悦はかりなし」――これ以上の喜びはないとおおせであります。
 私どもが、どんなに傲慢な人々から批判され、いじめられようとも、永遠の生命に生きる信念と誇りを忘れず、どこまでも凛々しく、晴れがましく、妙法の哲理を訴え続けている事実は、もはや、実証として人生に勝っているのであります。これが学会精神であり、牧口初代会長、戸田前会長の精神なのであります。どうか、大聖人の本眷属、如来の使いとしての名誉と確信を忘れずに生きぬいてください。
 獄中で生涯を終えられた牧口初代会長も、その遺志を継承された戸田前会長も、広宣流布のために弾圧され、まさに死闘の連続であられた。諸難にもめげず信念を貫かれた歴代会長の激闘、そこに学会が今日の世界的な存在とたる淵源があるのであります。
 ともかく、仏法者として、この御本尊、学会とともに「只南無妙法蓮華経」と唱えながら進んでいく”信仰覚悟の人生”であっていただきたいことを心から祈って、私の話とさせていただきます。

1
4