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日蓮大聖人・池田大作

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第203回9月度本部幹部会 凛々しく信心第一の大道歩め

1976.9.19 「広布第二章の指針」第9巻

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7  求道第一
 「松野殿御返事」に「何に賤者なりとも少し我れより勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべし、しかるに悪世の衆生は我慢・偏執・名聞・名利に著して彼れが弟子と成るべきか彼れに物を習はば人にや賤く思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候」と説かれている。
 名誉とか地位が偉いのではない。自分よりも、仏法をよけいに実践し、御書を読んでいる人に、仏法の真実を求め、聞いていこう、という謙虚な姿勢が大切なのである。
 たとえば、この熱海の地に大学の教授がやって来て道に迷ったとする。そのとき、近くにお手伝いさんが歩いていた。にもかかわらず、自分は大学教授だから教授以外の人間には道を聞けない、などというのは愚かである。一つの分野について、自分よりも道を究めている人に、教えを求めていくというのは、ものの道理でもあろう。
 しかるに悪世末法の衆生は、我慢偏執というか、自己中心の偏狭な思想に陥っている。そして、真実の仏法を知ろうともせず、いたずらに名聞名利のために、浮き草のような人生を送っているといっても過言ではないであろう。これは、見栄であり、その人生は砂上の楼閣であり、永遠の生命観からみれば、はかない姿といわざるをえない。名誉とか地位が人間の価値を決定するのではない。庶民のなかに生まれ、庶民のなかでみがかれた英知こそ、普遍的な人間真実の価値として昇華されゆくのである。
 私どもは、大海のような豊かな境涯で、仏法を求め、盤石な人間革命の実証を示しきっていくことが大切である、その根本として、勤行は、胸をはって凛々しく、わが一念の祈りは、全宇宙に、いな子孫末代、先祖代々にまで響きわたるのである、との確信をもって、力強く実践していっていただきたい。そして日々さわやかに、太陽のごとき境涯に立ち、伸びのびと大仏法を求めぬく人生であっていただきたい。(要旨)

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