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創価大学通信教育部開学式――メッセージ… 初志貫き”第一期生”の誉れを

1976.5.16 「広布第二章の指針」第8巻

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3  ご存知のこととは思いますが、通信教育が世界で初めて行われたのは、一八五六年、ドイツの言語学者ランゲンシャイトが語学教育において実施したことに始まるといわれております。また、百年近く前、イギリスのケンブリッジ大学が、大学への入学を許可されていなかった婦人のために、家庭でも学べるような通信教育の場を提供し、その後、アメリカにも受け継がれ、発展をしてまいりました。
 わが国においては、いまからちょうど九十年前に、当時、東京専門学校といわれた早稲田大学において、通信教育の制度が設けられたのが最初であります。しかし、本格的に通信教育が各大学において取り入れられたのは、戦後になってからといってよいでありましょう。その点、その歴史は、まだまだ浅いといっても過言ではありません。ここに、創価大学に新たに設置された通信教育部がもつ意味も大きなものがあると思うのであります。
 さて、通信教育で、学業を全うし卒業することは、きわめて至難であるといわざるをえない。一説によれば、入学者に対する卒業生の割合は数パーセントとも、二、三パーセントともいわれている。しかも、卒業までには、五、六年を費やすのが普通であるといった現状であります。
 それは、当初いだいた向学心を持続させることが、いかに難しいかを物語る証左でもあります。しかし、ユークリッドの「幾何学に王道なし」との有名な言葉があるように、学問にも特別な王道はありません。学識を深める道は、日々の粘り強い研鑽の積み重ねのなかにのみあることを銘記していただきたいのであります。仕事や家庭の事情等、さまざまな問題に直面するでありましょうが、五年かかろうが、十年かかろうが、断じて初志を貫き、全員が卒業の栄冠を勝ち得ていただきたいのであります。
4  たしかに卒業は一つの結果にすぎません。しかし、この目標の踏破のなかに、人間完成への確かなる歩みがあります。目前の一歩一歩の前進なくして、人生の完全なる走破はありません。まずもって向学の走者は、自己を制覇し、試練の障壁に信念のバネで挑み、生涯の自身錬磨の飛躍台にされんことを念願するものであります。
 人間の真価は、ひとたび険難の峰にさしかかったときに、はじめて明らかになるといわれております。前途に立ちはだかる困難をもって、挫折を自己正当化する手だてとするか、成長への好機と意義づけて進んでいくかで、将来の行路を決定づけてしまうといっても過言ではない。その選択はほかならぬ自己自身の腕にあるのであります。
 また、日ごろ一人で勉学に励まねばならぬ通信教育の学生にとって、大きな励ましとなり力となるものは、同じ志をいだく友人との交流であるといえます。通学部と異なり、友人同士が顔を合わせる機会もあまりないとは思いますが、相互に連係をはかり、切瑳琢磨していっていただきたい。
 大学で学ぶ意味の一つは、人生の友を得ることであります。互いに啓発しあえる友の存在は、なににも増して貴い財産であります。
 どうか第一期生の皆さんこそ、通信教育部の創立者であります。それを忘れないでいただきたい。開拓の道は険しくも、その向学の軌跡は、創価大学の名とともに永遠に顕彰されていくことでありましょう。
 皆さん方のご健康とご健闘を祈るとともに、建設の学徒の未来に栄光あれ、と申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。ではお元気で――。

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