Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「信心の在り方について」をとおして  

1975.12.8 「広布第二章の指針」第7巻

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2  われわれ衆生の生命を、仏の生命と説くこの仏法思想が世界に伝播していったとき、戦争はかならず避けられ、生命の尊厳を破壊する行為はなくなっていこう。この偉大にして崇高な仏法思想が、折伏によってさらに開かれていくならば、いかなる思想よりも、また指導よりも、確実に、明確に達成されゆくことはまちがいない。
3  学歴、信仰歴の有無にかかわらず、純真な信行によって間違いなく仏界は湧現される。「王冠をいただいても頭痛は治せない、運命の打開はできない」との言もある。その意味で私は、汝自身の妙法を湧現でき、率直に純真な信行をつらぬいていける人こそ「人生の王冠なり」と申し上げておきたい。
  
 信心の世界にあっては、”嘆くまえにまず題目、文句をいうまえに唱題する”という姿勢が大事だ。仏法の一念三千の法則は、おまけも割引もない峻厳な因果律を説くものであるからである。「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」の御金言を心肝に染めゆく指導者でなくてはならない。
  
 「信力」とは祈りであり、「行力」とは弘教である。ともかく、真の信仰を学会によって知ったように、真実の行力は、末法今時においては学会活動にしかないと自覚すべきである。
  
 大聖人の仏法は冥益が表であり、だれもが入信当時の苦境と相対するならば、そこに”福運の大樹”が育っていることが理解できよう。”経験は偉大な母”といわれるように体験をもった人は強い。したがって、つねに次の人間革命めざして進んでいく姿勢、一生成仏をめざしてたえざる前進を志向する模範の人生であってほしい。ドイツのある哲学者は「熱心のみが人生を永遠にする」といったが、その観点から”信心だけは熱心が大切”と申し上げておきたい。
4  いつの時代にあっても、偉大な事業を成さんとする人に、強靱な忍耐と前へ進む強固な意志が要請されるのはいうまでもない。いわんや、荒れ狂う社会のなかで、人類未聞の広宣流布に進みゆく私どもにおいてをやである。徳川家康は「人生は常に不自由と思え」と語ったといわれるが、この不自由な環境からこそ、偉大なものができあがっていくということを忘れてはならない。
  
 信心の世界にあるのはただ「求道」の二字である。批判する人間に紛動される者は、愚かといわざるをえない。ともかく、あらゆる行き詰まりと悩みと戦いながら、弘教に励み、多くの人々のめんどうをみた人のみが、永遠の成仏を約束され、真実の人間道を歩むことができるのであり、そこに人間革命もある。(要旨)

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