Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第38回本部総会 人間共和と平和社会の創出

1975.11.9 「広布第二章の指針」第7巻

前後
15  一人ひとりが創価学会の実体
 次に「梵音声御書」の一節を拝したい。「此の法華経の一字の功徳は釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、たとへば如意宝珠の如し一珠も百珠も同じき事なり一珠も無量の宝を雨す百珠も又無尽の宝あり、たとへば百草を抹りて一丸乃至百丸となせり一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ、譬へば大海の一たいも衆流を備へ一海も万流の味を・もてるが如し」と。
 この御文は、妙の一字の功徳について述べられたものであり、御本尊には釈迦・多宝・十方の諸仏の功徳を包含した偉大な功徳があることを教えられております。しかしいま、この御文を、日々組織の先端で活動する私どもの実践の姿勢にあてはめてみるならば、百珠の如意宝珠、百丸の薬、また大海とは日蓮正宗創価学会であり、一珠の宝、一丸の薬、大海の一滞は皆さん方一人ひとりの働きであると拝することができましょう。大海といっても究極するところ一滞の集積にほかならないし、その一滞に大海の一切が含まれているのであります。たった一つの如意宝珠であっても、一切の宝を生み出す無限の価値があり、一丸の薬に万病を癒す効能がある。どうか皆さん方一人ひとりが創価学会そのものであり、そのほかには絶対に創価学会の実体はありえないと確信していただきたい。また、一人ひとりにそれだけの使命と資格があると説いているのが、日蓮大聖人の仏法であります。
 あるフランス文学者が、フランスの名もない一人の市民の生き方について感銘した、という一つのエピソードを紹介しておりましたが、人の生き方についていろいろと考えさせるものを含んでおります。
 パリの東部にある墓地の一角に小さい白い大理石のお墓が立っている。その墓石には次のような一言葉が簡素に刻み込まれているという。
 「ここにオーギュスト・シャルル・コリニョンねむる。……この人は善行を愛し、善行をなそうと努め、モンテーニュの『エッセー』とラ・フォンテーヌの『寓話詩』のモラアルと教訓とをできる限り実践しようと努めながら、おだやかにも幸福な一生を送った」
 コリニョンという人は、ごく平凡な市民の一人であったようであります。しかし、この墓碑銘を読んで感激した人々は”コンコードの哲人”とたたえられたアメリカのエマーソンなど数多いという。このフランス文学者も、名もないフランスの一市民、一農民が、モンテーニュを範とし、デカルトの生き方にも通じるような一生涯を、自分自身の行動と努力によって築き上げたということに、たとえようもなく感動させられる、といっております。
 私たち創価学会の運動は、無名の庶民の手によって行われています。市井の人々が、深遠な仏法哲理を自らの意志にもとづいて学び、実践している事実は、偉大なことであります。パリの一角に眠る墓石の主人公は、モンテーニュやデカルトの哲学を範として生涯を終えたわけでありますが、創価運動の担い手である名もなき多くの庶民は、御書を範とし、深遠な仏法哲理を体現する一生涯を、自分自身の行動と努力によって築き上げようではありませんか。(大拍手)
 私は、皆さん方が縦横無尽に戦えるよう、心より応援してまいりますし、そのための道も切り開いてまいります。ますます深刻化する社会の暗雲のなかにあって、どうか、皆さん方一人ひとりが、功徳に満ちみちた希望の存在となっていただきたい。そして金剛不壊の団結をもって、社会に絢欄たる福運の大樹を育てていきたいものであります。
 私は来年もまた、国内、国外ともに皆さま方の激励のために行かせていただきますので、よろしくお願いいたします。(大拍手)
 最後に、この十五年間、私を支え、守り、学会の発展に寄与してくださった会員の皆さま方に対し、私は、ただ”感謝”の二字しかありません。ただ、御本仏日蓮大聖人の照覧は、明鏡に照らして絶対であり、釈迦多宝の二仏、十方の諸仏の証明も必然であります。
 この私どもの福運と功徳は、久しく子々孫々、末代までも語り継がれることでありましょう。偉大なる地涌の友に栄光あれと念じつつ、あわせて皆さま方のいっそうのご健康を心よりお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。長時間ありがとうございました。

1
15