Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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壮年部代表者集会 仏法中道主義の大道を

1975.8.20 「広布第二章の指針」第7巻

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4  創価学会の活動について
 もとはといえば私は、さきにあげた現代文明の危機そのものの本質も、生命の奥深い次元に発していると考えている。ファシズムの問題にしても、多くの政治的、社会的要因が考えられるであろうが、それらをより本源的にたどっていけば、エゴと傲慢に支配された人間生命の欲望の肥大化という、生命の魔性の本質が露になってくる。仏法者としての最大の使命は、その本質を打ち破ることにあるといってよい。すなわち、現実の一人ひとりの人間の、生命内奥からの人間革命を第一義としているのであります。
 したがってわれわれの活動は、第一に一人の人間の人間革命を根本としていくことである。
 私は、小説「人間革命」の主題として「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」という仏法者の信条を掲げました。これは私の、一貫して変わらぬ信念であります。
 現代の文明的危機といっても、なにが根底から脅かされているのかといえば、結局、一人ひとりの人間の尊厳が、外側からも内側からも侵されているということではなかろうか、と思う。一般に「一人の人間の生命は地球よりも重い」といわれているが、この”個の尊厳””生命の尊厳”への比類なき洞察を行っているのが、仏法、なかんずく日蓮大聖人の仏法である。したがってわれわれは、人間と人間による善意と英知の触発のなかから生まれる”一人”の人間の、生命の奥底よりの覚醒こそ、平和主義の根源であると強く訴えたいのであります。(大拍手)
 ゆえに、その運動形態も”一人”の人間に対する徹底した肉薄を基調とするのであります。それも、抽象的に論じられるような人間ではなく、現実に生き、生活している一人ひとりの人間である。したがって、その運動の主たる場は、人々の現実生活の場――すなわち家庭であり、地域であり、職場である。すなわち、日常性のなかにこそ、われわれの運動の場があるのであります。
 日々継続しゆく、生活の日常性を基盤とするがゆえに、われわれの運動は、漸進的、平和的方法をとる。
 過去の革命運動は、一部の職業革命家集団が、大衆をリードするというかたちをとったために、理想主義に走って民衆の生活感情から遊離し、ときに玉砕主義的に暴走し、その結果、悲惨な流血や犠牲を招いてしまうケースがほとんどであった。われわれの漸進的、平和的文化運動は、徹底した民衆主導型であるがゆえに、それら革命運動の型とは正反対の極に位置しているのであります。いかなる大義のもとでも、戦争をはじめとする暴力を正当化してはならない。
 ある世界的思想家は「革命とは人を殺すものではなくして、人を生かすものです」と述べているが、その精神はまさしくわれわれのめざす暴力否定路線に通じているといってよい。この点、皆さんいかがでありましょうか。(大拍手)
 以上、結論すれば、われわれの行動理念は、人間革命を地下水脈として、その肥沃な大地の上に、教育、文化、平和の大樹をはぐくんでいく仏広の中道主義、創価文化三義の路線である。ゆえに、いわゆる政治主義的な運動とは、根本的に異なると申し上げたい。(大拍手)
5  「合意協定」について
 私が宮本氏と会ったのは、作家の松本清張氏からの再三にわたるすすめがあったからであります。
 今回の「合意協定」についで、いえば、まず話し合いをしょうということで野崎(総務)、上田(日本共産党常任幹部会委員)両氏のあいだで、対話が進められていく過程で生まれたのであります。
 この話し合いや「合意協定」についての学会しての見解は、すでに聖教新聞紙上に明らかにされているとおりである。
 もとより、この「合意協定」は、これによってなんらかの具体的行動が成立するというものではなく、人類的視野に立って両者が合意できる点を確認したものであります。したがってそこには、十年という長期にわたるタイム・テーブルを設定したし、相互の行動は、あくまでもそれぞれの立場で自由をもつものである。その意義から原則論的な合意点をまとめたものであります、
 したがって、共闘の問題についてうんぬんされているが、宮本氏もそんな低い次元や狭い了見からではないことを私は知っている。われわれは日本共産党と共闘する意思はない。またいわゆる国民統一戦線に加わることも考えておりません。(大拍手)
 共産党には共産党の目的と方法がありましょう。われわれには「立正安国」という使命がある。すなわち、仏法の信仰をもちながら、人間革命とそれにもとづく最高の文化社会の実現という仏法者の目的と方法がある。
 われわれはあくまでもわれわれの立場で平和、文化の建設に、また広宣流布に貢献できるよう、努力を重ねていきたい。
 ここに盛られた緊張緩和(デタント)の精神が、どれだけ深化され、徹底されてゆくかを、十年間にわたって試みていく考えであります。ともかく宗教と社会主義との共存ということは、まぎれもなく文明論的な課題である。双方、忍耐強く長い時間をかけて努力を続けていくべきものである、というのが、私のいつわらざる心境であります。
 すでに各所で私の所信を明らかにしたところでありますが、政教分離を前提としたうえでの創価学会と公明党の支援関係は、従来といささかも変わりません。(大拍手)党を支える代表として、党の関係者と会えば、永年の同志、友人として激励もしたいと思っております。
 また党が国民、社会のために真剣に努力していることは高く評価もしておりますし、今日の大発展を導いてきた現在の党の首脳ならびに党員各位に対しては、心から敬意も表します。
 また、党の方針については、党の民主的決定にしたがって思うぞんぶんやっていただきたい。とともに、短期間のあいだに、国民のあいだに広く定着した中道革新の信頼される国民政党として、さらに国民のために成長し、歴史の流れのなかであくまでも国民の願望する方向を志向しながら、さらに前進の活躍を祈るものであります。どうか、激動しゆく日本の将来をあやまたないよう、確固たる展望をいだきながら、進んで行っていただきたい。そのためにも、われわれはこれまで以上に応援もいたし、また、せねばならないと思っております。
 最後に「日興遺誠置文」の冒頭の一節を拝しておきたい。
 「夫れおもんみれば末法弘通の恵日は極悪謗法ほうぼうの闇を照し久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払う、於戲ああ仏法に値うことまれにして喩を曇華どんげの蕚に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足らざる者か、ここに我等宿縁深厚なるに依つて幸に此の経に遇い奉ることを得」云云と。
 「末法弘通の恵日は極悪謗法の闇を照し」とは、末法弘通の太陽の仏法は、いかなる時代の暗闇があってもそれを照らし晴らしていくとの、絶対的の慈悲であります。「久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払う」とは、始成正覚の無常の生命観、浅い幸福観を根源的に打ち破り、確たる永遠の生命観、幸福観を教えていくものこそ、日蓮大聖人の妙法であるとの仰せであります。
 あとは説明するまでもないと思う。この遇いがたき仏法に遇うことができたのは、宿縁深厚のゆえであるということであります。
 どうか、日蓮大聖人の仏法における本因の代表であり、本門弘通の大導師であられる二祖日興上人の、心血を注いでしたためられたこの一文を、信仰の原点とし、生涯の指針としていっていただきたい。
 最後にわれわれは、御法主上人猊下を心よりお護り申し上げることを誓い、私の話といたします。(大拍手)

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