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戸田第二代会長生誕110周年 記念提言… 核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を

2009.9.8 スピーチ(聖教新聞2009年下)

前後
1  明年の戸田第二代会長生誕110周年の開幕を記念し、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は、戸田会長が「原水爆禁止宣言」を発表したきょう9月8日に寄せて、「核兵器廃絶へ民衆の大連帯を」と題する提言を発表した。提言ではまず、世界で核拡散の脅威が高まる中、アメリカのオバマ大統領が「核兵器のない世界」への決意を表明するなど、変化の兆しが見られることに言及。この動きを確かな潮流へと高めるためには、歴史家のトインビー博士が促していたように、各国が自らの意志で必要な変革に踏み出せるよう、歴史の教訓を真摯に学ぶ必要があると強調。その上で、戸田会長の「原水爆禁止宣言」の現代的意義として、「政治指導者の意識変革」「核兵器禁止の明確なビジョン」「人間の安全保障のグローバルな確立」の3点を挙げ、人類の生存権を守る立場から核兵器を絶対悪と位置付けた先見性について論じている。
2  続いて、「核兵器のない世界」の実現に向け、①核軍縮②市民社会との協働体制③核拡散防止④「核兵器に依存しない安全保障」への移行⑤核兵器の禁止、の5項目にわたる提案を。核兵器ゼロに向けた保有国による軍縮促進のための措置をはじめ、国連に「核廃絶のための有識者パネル」を創設し、核拡散防止条約に「常設作業部会」を設置するプランを提唱。民衆のグローバルな連帯の力で「核兵器禁止条約」の基礎となる国際規範を確立することを呼びかけている。
 世界を分断し、破壊する象徴が核兵器であるならば、それに打ち勝つものは、希望を歴史創造の力へと鍛え上げる民衆の連帯しかない──。
3  20世紀を代表する科学者であるアインシュタイン博士が、生涯で唯一の過ちと悔いていたものがありました。
 アメリカにナチスの原爆開発の危険性を伝え、早急な対応を求める手紙に署名し、ルーズベルト大統領に送ったことです。
 「戦争の理由が何であれ、私は戦争への奉仕は直接的なものも間接的なものも絶対に拒否する」(アリス・カラプリス編 『アインシュタインは語る』林一・林大訳、大月書店)と宣言していた博士が、知人の科学者の要請があったとはいえ、なぜこのような決断を下したのか。
 原爆の破壊力を誰よりも察知できたがゆえに、ナチスが先に手にした場合の世界の行く末に、底知れぬ恐れを抱いたためと言われています。
 年来の主義に反して署名した博士の思いは、軍事の論理の中で置き去りにされていった。しかも、ナチスの敗戦で核開発の意味は失われたと安堵した矢先、原爆が広島と長崎に投下された──。言語に絶する衝撃を受け、亡くなるまでの10年間、核兵器の廃絶を世界に訴え続けたことは、あまりにも有名です。
 「最初の原子爆弾が完成して以来、世界を戦争から守るためには、何事も完成されておりません。ところが一方では戦争の破壊力を増すために多くのことがなされてきました」(『晩年に想う』中村誠太郎・南部陽一郎・市井三郎訳、講談社)
 この言葉をアインシュタイン博士が述べたのは、1947年でした。その前年に、国連で論議された原子力の国際管理構想(=注1=)が挫折し、ソ連やイギリスが核兵器開発に乗り出す中で、憤りを込めて同じ文章の中で、その警告を3度繰り返したのです。
 この47年は、私が師の戸田城聖第二代会長に初めて出会った年でもありました。
 師は、軍国主義に抗して、2年に及ぶ獄中闘争を貫き、戦後は平和を求める民衆運動の先頭に立ちました。
 そして、ソ連がアメリカを後追いして核実験に成功し、その事実を認めた直後(49年10月)に、「原子爆弾による戦争が起こったならば、世界の民族は崩壊の道をたどる以外にない」(『戸田城聖全集第3巻』)と警告していたのです。
4  危機が増す中で見え始めた動き
 以来、核兵器が対峙する時代忙突入してから60年が経ちますが、アインシュタイン博士の警告への抜本的な対応はなされていません。
 むしろ、危機の度を増している。
 冷戦の終結以降、世界規模での核戦争の脅威は薄れつつあります。しかし、核拡散が進んだ結果、今や核兵器を保有する国は、核拡散防止条約(NPT)が発効した時点と比べて、倍近くに達しようとしています。
 いまだ世界に核兵器が25,000発も存在すると言われる一方で、闇市場を通じて製造技術や核物質が流出し、核兵器を用いたテロという想像を絶するような新しい形の脅威を懸念する声も高まっています。
 こうした中、アメリカのオバマ大統領が今年4月にチェコのプラハでの演説で、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国としての「道義的責任」に言及しつつ、「核兵器のない世界」に向けて先頭に立つ決意を表明しました。
 そして、ロシアのメドベージェフ大統領と2度にわたって首脳会談を行い、第1次戦略兵器削減条約(START1)に続く新しい核軍縮条約の枠組みに合意しました。
 その後、7月にイタリアのラクイラで開催されたG8サミット(主要国首脳会議)で、「核兵器のない世界のための状況をつくること」を約束する首脳声明が発表されました。
 更に、今月24日には、国連安全保障理事会の「核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合」が予定されるなど、これまでにない動きが次第に見られるようになっています。
 これらの一連の動きが、果たして本当に、時代転換への新たな潮流を生み出すことにつながるのかどうか──。その正念場となるのが、来年5月に開催されるNPTの再検討会議でありましょう。
 前回の2005年のNPT再検討会議では、核軍縮の優先的な対応を求める主張と、核拡散防止の優先を求める主張が対立し、残念ながら、成果を得られないまま閉幕しました。
 その轍を踏まぬよう、今年のジュネーブ軍縮会議においてカットオフ条約(兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の交渉開始がようやく決定するなど、歩み寄りの兆しは見え始めてはいます。
 しかし、世界を覆う核時代の暗雲は、表面的なムードの変化だけで打ち払えるものではありません。
 “核兵器の存在が、どれだけ世界を不安定にし、人類を脅威にさらしているのか”との、政治や軍事上の利害を超えた根源的な問い直しが、絶対に避けて通れないと思うのです。
5  トインビー博士が呼びかけた心構え
 そこで私が提起したいのは、歴史家のトインビー博士の言葉です。
 博士が大著『歴史の研究』(長谷川松治訳『トインビー著作集2』所収、社会思想社)で、「われわれのどうしても回避することのできない挑戦」として、人類に等しく応戦を呼びかけたのが、核兵器の問題でした。
 私との対談でも、核兵器の保有を拒否する「自ら課した拒否権」を世界全体で確立しなければならないと、遺言のように訴えていたことが忘れられません(『21世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)。
 博士は、人類がその応戦に臨む心構えについて、次のように述べられていたことがあります。
 「私たちに深く浸透した習慣と革命的に訣別したり、慣れ親しんできた制度を放棄する辛さには感情的な抵抗があるだろうが、それは自己教育によって乗り越えなければならない。核時代においてはそれは力では破れない。ゴルディウスの結び目(=注2=)は剣で一刀両断に断ち切られる代りに辛抱強く指でほどかれなければならないのである」(『現代が受けている挑戦』吉田健一訳)
6  終末時計に込めた科学者たちの憂慮
 そこで、「自己教育」というトインビー博士の言葉を手がかりに、これらの自問にも関わる歴史の教訓を掘り下げてみたい。
 まず、核兵器誕生の前後に科学者たちが直面した葛藤に焦点を当て、核兵器に対する考え方を問い直していくことです。
 今や存在が当たり前のようにみなされている核兵器ですが、その誕生に携わった少なからぬ数の科学者が憂慮や躊躇を示していた“望まれない兵器”であったことを、まず思い起こす必要があります。
 、第2次世界大戦が始まる前年(1938年12月)、ベルリンでウランを使って人工的に核分裂を引き起こす実験が成功しました。
 実験に携わった科学者オットー・ハーンは、その恐ろしい可能性に気づき、手持ちのウランをすべて海に投棄して、自殺することを考えたほどだったといわれています。また翌39年に、原爆製造の次の関門とされた核分裂の連鎖反応の可能性を立証したレオ・シラードも悲劇を予感し、「私は世界が悲しみに向かっていることを知った」と述べざるを得ませんでした(シドニー・レンズ著『核兵器は世界をどう変えたか』矢ケ崎誠治訳、草思社)。
 そして、シカゴ大学の原子炉で連鎖反応の制御が成功し、マンハッタン計画が軌道に乗った後、いよいよ最初の核実験が行われるという直前(45年7月)に、兵器としての使用を見合わせるよう求める請願書をまとめたのも、同大学で核開発に携わった科学者たちだったのです。
 思えば、私がシカゴ大学を訪れたのは、SGIの発足を目前に控えた75年1月のことでした。大学首脳との会談や図書館の視察を行った折に、キャンパスの一角にある核開発の記念碑を目にし、往時の科学者たちの呻吟や苦衷に思いを馳せたことを覚えています。
 その1週間ほど前にニューヨークの国連本部を訪問し、創価学会青年部が集めた核廃絶を求める1,000万人の署名簿を提出したばかりでした。それだけに、核廃絶への決意がひときわ強く胸に刻まれました。
 シカゴ大学には「終末時計」が設置されており、核戦争の危険度が、世界の状況の変化に応じて、そのつど示されてきました。
 私たちは、こうした核開発の裏面史を見つめ直し、「終末時計」に込められた先人たちの憂慮の意味をかみしめていく必要があるのではないでしょうか。
7  先入観やイメージで目を曇らせない
 次に、核時代の中で起こった危機や出来事に政治指導者がどう対応したのかを振り返り、その経験と教訓から学ぶことです。
 現代史をひもとくと、これまで何度も核兵器の使用が検討された事態があったことがわかります。なかでも最も深刻で切迫したのが、米ソが核戦争の瀬戸際に立たされた、62年10月のキューバ危機でした。
 このキューバ危機を経た後のケネディ大統領の行動として注目すべきは、ソ連との平和共存の可能性を探る前提として、敵意や偏見を払拭する重要性を呼びかけていた点です。
 「平和の戦略」と題する有名な演説(63年6月)で大統領は、ソ連によるアメリカへの非難に言及した上で、こう訴えました。
 「このようなソ連の言い分を読み、米ソ間の間隙がいかに大きいかを知ると、悲観せざるを得ません。しかし、それは同時に警告であり、ソ連と同じような落し穴に陥らないよう、相手方のゆがめられた絶望的な見方だけ見ることのないよう、紛争を不可避と考えたり、協調を不可能と見たり、コミュニケーションは形容語や脅し文句の交換以上の何物でもないと思ったりすることがないよう、アメリカ人に警告しているのです」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』、南雲堂)と。
 先入観やイメージにとらわれて目を曇らせてはならないとのメッセージです。この点は、核時代における「ゴルディウスの結び目」を解く上で欠かせない要件だと思われます。
 事実、私は74年に中国とソ連を相次いで初訪問し、両国の首脳との会談で緊張緩和の道を探った時、そのことを強く実感しました。
 平和を希求する一人の仏法者として、“どの国の民衆も戦火など望んでいない。この機を逃さず、何としても橋渡しをしなければならない”との覚悟で民間外交に臨んだのです。
 初訪中から3カ月後(74年9月)に、ソ連のコスイギン首相と会見した際、私は、首相が味わったレニングラード攻防戦の悲劇の話を伺った後で、単刀直入にこう申し上げました。
 「中国の首脳は、自分たちから他国を攻めることは絶対にないと言明しておりました。しかし、ソ連が攻めてくるのではないかと、防空壕まで掘って攻撃に備えています。中国はソ連の出方を見ています。率直にお伺いしますが、ソ連は中国を攻めますか」
 すると首相は、「ソ連は中国を攻撃するつもりはありません」「中国を孤立化させようとは考えていません」と明言された。
 時を置かずして私は、その意向を中国の要人に伝える一方、アメリカに赴き、キッシンジャー国務長官と米中関係や戦略兵器制限交渉(SALT)について意見交換をしたのです。
 一連の会談を経て得た教訓は、「どんなに状況が厳しくても、対話が打開の糸口となる」「相手の意思を正確に知るには、胸襟を開いて語り合う以外にない」の2点であります。
 思うに、互いの心の壁を取り払う対話の精神を足場に、核廃絶の可能性が真剣に論じ合われたのが、86年10月にレイキャビクで行われた米ソ首脳会談ではなかったでしょうか。
 この年の年頭、ゴルバチョフ書記長が核兵器の全廃構想を示した時、レーガン大統領も前向きに受け止めようと考え始めた。反対する側近にも、「私はソフトになるつもりはない……。しかし、私には核兵器のない世界という夢がある。われわれの子や孫をこんな恐ろしい兵器から解き放ちたいのだ」と、正直な思いを語ったといいます(太田昌克著『アトミック・ゴースト』、講談社)。
 一方のゴルバチョフ書記長も、同年4月に起こったチェルノブイリ原発の事故に強い衝撃を受け、決意を更に固めていた。
 そして、首脳会談で率直な意見が交わされる中、“96年までの10年間で一切の核兵器をゼロにする”との方針で一致をみかけた。しかし最終段階で、戦略防衛構想(SDI)をめぐって意見が折り合わず、歴史的な合意は幻に終わってしまったのです。
 この宣言と同じ年に発足したパグウォッシュ会議の創設に尽力した哲学者ラッセルも、権力者が陥りかねない生命状態を、「ギリシアの神々の王ジュピターのように、雷電を武器として携えている」姿になぞらえていたことがあります(『権力』東宮隆訳、みすず書房)。
8  仏法でも、「念々に常に彼れに勝れんことを欲し、人に下るに耐えず、他を軽んじて己れをとうとむ」(天台大師『摩訶止観』)という勝他の欲望が、人間の生命にあると説きます。
 そして、すべてを自分のための手段にしようとする欲望が極まった状態を、「他化自在天」と説くのです。そこでは、他者の存在は限りなく矮小化され、どんな犠牲が生じても躊躇や心の痛みなど感じなくなってしまう。
 この点、アメリカで核戦力を掌握する戦略軍総司令官を務めた退役軍人のリー・バトラー氏の次の述懐が思い起こされます。
 「私たちは、冷戦期の核抑止という極端な戒律にこだわることで、人間性のもとである生命への尊敬の念をすり減らし、また道徳的感性を削ってきた」(ロバート・D・グリーン著『検証「核抑止論」』梅林宏道・阿部純子訳、高文研)
 また、マンハッタン計画に当初加わりながら、道徳的な理由から途中でただ一人離脱した、パグウォッシュ会議のジョセフ・ロートブラット博士も、核戦争が人類にもたらす破局について警告していました。
 96年に国際司法裁判所で核兵器の威嚇と使用に関する勧告的意見が示された際、これに先立つ審理で、各国の意見陳述が行われる中、南太平洋のソロモン諸島を支援する形で代表団に加わり、次のような意見を文書で表明したのです。
 「空間的にも時間的にも、有害な作用が広がるという放射性降下物の特性は核戦争の持つ独特の特徴である。戦争当事国の住民だけでなく、事実上世界の全人口とその子孫までが、核戦争では犠牲になる。そこに、核兵器が戦争という概念にもたらした根本的な変化がある」(NHK広島核平和プロジェクト著『核兵器裁判』、日本放送出版協会)と。
 博士は、放射線が人体に与える影響を詳しく調査し、保有国が核実験を行うたびに放射性物質の脅威にさらされてきた人々の苦しみを代弁して、人類に警鐘を鳴らしたのです。
 こうした破滅的な末路を知りながら、核政策を改めることができないのは、他者の痛みを感じ取る“想像力の破産”というほかありません。冷戦時代の負の遺産である核抑止論を、今こそ勇気をもって清算すべき時を迎えているのです。
9  一切の例外許さず核兵器使用を断罪
 第2の柱は、「もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである」と述べ、いかなる理由があろうと、いかなる国であろうと、核兵器の使用は絶対に許されないと明言した点です。
 生命尊厳の思想を根幹に据える仏法者として死刑に強く反対していた師が、あえて極刑を求めるかのような表現を用いたのは、核使用を正当化しようとする論理に明確な楔を打ち、その根を断つためでした。
 戸田会長は、人類の生存権を根源的に脅かす存在である核兵器は“絶対悪”にほかならず、核兵器を従来の兵器の延長線上に置いて、状況に応じて使用も可能な“必要悪”と考える余地を一切与えてはならないと強調したのです。
 当時、東西の陣営に分かれて、互いの核保有を批判する主張が横行する中で、戸田会長はその迷妄を打ち破り、いかなるイデオロギーにも体制にも偏することなく、人類の名において核兵器を断罪しました。
 戦時中に軍国主義と戦い抜いた師は、どの国もどの民族も戦争の犠牲となってはならないと訴え、「地球民族主義」を提唱しました。「原水爆禁止宣言」は、その論理的帰結にほかならなかったのです。
 こうした一切の例外を認めない考え方は、国際社会で何度も表明されるにいたっています。61年の国連総会で、核兵器を使用するいかなる国も国連憲章や人道の法則に違反し、人類と文明に対する犯罪とみなされるとの決議が採択されて以来、同様の決議が繰り返されてきました。
 また2006年には大量破壊兵器委員会が報告書で、「ある国々が保有する核兵器は脅威とならないが、別の国々が保有すると世界が致命的な危機に陥るという考え方を認めない」との見解を示しています。
 あたかも“良い核兵器”と“悪い核兵器”の区別があるかのような考え方が存在している限り、いくら核拡散防止の体制を強化しても正当性や説得性は持ち得ない──。戸田会長の宣言は、核問題の解決を図る上で避けては通れない“急所”を浮き彫りにしたものでもあったのです。
10  核の奥に隠された爪をもぎ取りたい
 第3の柱は、「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」と述べ、核実験への抗議もさることながら、多くの民衆の犠牲の上で成り立つ安全保障思想の根絶を図らない限り、本質的な解決はありえないことを指摘した点です。
 ひとたび核攻撃の応酬が始まれば、他国の国民にとどまらず、自国の大半の国民も犠牲を免れないことは明らかです。そうした事実に目をつぶって、いくら「国家の安全保障」を声高に叫んでも、本来守るべき国民を捨象した“抜け殻”でしかありません。
 核兵器が使用されないまでも、核実験に伴う放射線被曝で多くの人々が命を落とし、がんや遺伝性疾患などに苦しめられています。また、核兵器関連施設の周辺でも、同様の被害が広がっていると言われます。
 戸田会長の熱願は、「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(『戸田城聖全集第3巻』)との一点にありました。
 その熱願が凝縮した宣言は、一人一人の人間が直面している悲惨な状況を取り除くことに平和の基礎を見いだすアプローチ──すなわち、今日、その重要性が叫ばれている「人間の安全保障」の視座に立脚したものだったのです。
 そして何より重要なのは、戸田会長が、「世界」と「国家」と「個人」という、それぞれのレベルにお、いて、等しく悲惨な状況を招いてはならないと強調していることです。
 つまり、いくら世界の平和を守る大義があったとしても、犠牲となる国があってはならない。国の安全を守るためとはいえ、一般民衆を犠牲にすることがあってはならない。こうした状況を引き起こしている元凶を見定め、核問題の「奥に隠されているところの爪をもぎ取る」作業こそ、人類に課せられた共同の責任ではないでしょうか。
11  対話や提言を重ね意識啓発も推進
 この「原水爆禁止宣言」から半世紀──。
 「いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」との師子吼を、私は一日たりとも忘れることなく、その場で胸に焼き付けた直弟子として、核廃絶への潮流を高める挑戦を続けてきました。
 師の逝去から2年後、創価学会の第三代会長に就任した60年に、師の写真を上着の内ポケットに納め、アメリカへの第一歩を印して以来、各国を訪問し、保有5カ国すべての指導者をはじめ、国連首脳や多くの識者と対話を重ね、核兵器や世界平和への課題について語り合ってきました。
 また、国連で、78年、82年、88年と3回にわたり行われてきた軍縮特別総会にも、毎回、提言を寄せてきました。83年から毎年発表している「SGIの日」記念提言でも、核廃絶への提案を続けてきたのです。
 さらに96年には、師の平和思想を原点に、世界の民衆のための平和研究のネットワークを広げる拠点として、戸田記念国際平和研究所を創設しました。主要プロジェクトの一つに核兵器廃絶を掲げ、国際会議の成果をまとめた研究書籍も発刊しています。
 またSGIとしても、核兵器の脅威と非人道性をより多くの人々に伝え、意識啓発していく運動に一貫して取り組んできました。
 核兵器の脅威は不断に存し在し、人類に等しく降りかかる恐れがあるにもかかわらず、多くの人々にとって目に見えて現れないため、リアリティーを感じられないことが、脅威を無意識に看過させてしまっている。
 私どもは、その“無意識の壁”を破ることが先決と考え、82年6月にスタートした「核兵器──現代世界の脅威」展を、国連の世界軍縮キャンペーンの一環として巡回したのをはじめ、さまざまな展示を企画し、保有国を含む多くの国々で開催してきました。とくに近年は、国連が呼びかける「軍縮・不拡散教育」を民衆レベルで推進する活動に力を入れてきました。
 世界の被曝証言 収めたDVDも 更に、「核兵器のない世界」を築くには、民衆自身が立ち上がり、その連帯を地球大に広げる以外にないとの信念に基づき、「アポリション2000」を支援して集めた1,300万人の核廃絶署名を、98年10月に国連本部に提出しました。
 そして、2006年8月の提言で私は「核兵器廃絶へ向けての世界の民衆の行動の10年」を提唱し、「原水爆禁止宣言」発表50周年にあたる2007年9月から、SGIで同10年の運動を立ち上げたのです。
 現在、人間の安全保障の観点から核兵器の問題を考える「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展を各地で開催し、また教育用ツールとして「平和への願いをこめて──広島・長崎女性たちの被爆体験」と題する5言語版DVDの上映を進めています。今後の計画として、世界各地で放射能汚染や被曝に苦しむ人々の証言DVDの制作にも取り組みたいと思います。
 こうして私どもは、師の「原水爆禁止宣言」を時代精神へと高めるべく、半世紀にわたり行動を続けてきました。今後も、民衆次元から核廃絶を目指す運動に、更に全力であたっていく決意です。
12  注1 原子力の国際管理構想
 1946年1月、初めて開催された国連総会で原子力委員会の設置が決定。6月にアメリカは、国連原子力開発機構の創設を柱とする「バルーク案」を提出したが、移行段階でアメリカに核保有の独占を認める一方、違反行為に厳しい罰則を定める内容に、ソ連が反発。12月に行われた採決で、ソ連とポーランドが棄権し、構想は挫折した。
13  注2 ゴルディウスの結び目
 紀元前333年、東方遠征の途中で、古代ブリュギアの都に立ち寄ったアレクサンドロス大王は、「ゴルディウス王が結んだ複雑な縄を解いた者は、アジアの支配者となる」との予言を耳にし、その縄を剣で両断した。この故事に由来し、転じて「至難の問題」を意味する。
14  注3 「核兵器のない世界」と題する提言
 シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、キッシンジャー元国務長官、ナン元上院軍事委員会委員長が、2007年1月に「ウォールストリート・ジャーナル」で発表した提言。2008年1月にも同様の提言を行い、かつてアメリカの核政策を担った4人の主張として反響を呼んだ。
15  核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を
 核兵器廃絶を目指し、長年取り組んできた経験から、今、強く感じてならないのは、核問題をめぐる潮目に大きな変化が起こりつつあることです。
 つまり、従来の平和論的なアプローチだけでなく、核兵器の脅威が乱反射する状況を前にした現実主義的な判断に基づいて「核兵器のない世界」を求める声が、保有国の間からもあがっていることです。
 こうした2つのアプローチを協働させることができれば、より大きな推進力を生み出すことが可能となります。キッシンジャー博士も、その重要性を指摘していました。
 私は、この協働の軸となるものこそ、「明確なビジョン」「揺るぎない決意」「勇気ある行動」であると確信します。
 このことを念頭に置きながら、私は、「核兵器のない世界」の実現に向けて、今後の5年間でその基盤を築くために、次の5項目の提案を行いたい。
 一、来年に行われる核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、保有5カ国が「核兵器のない世界」のビジョンの共有を宣言し、ただちに具体的な準備作業に着手する。
 一、国連に「核廃絶のための有識者パネル」を創設し、核軍縮プロセスにおける市民社会との協働体制を確保する。
 一、2015年の再検討会議までに、各国の協力で核拡散防止のための環境を整備し、核兵器ゼロに向けての障害を取り除く。
 一、2015年までに、各国が協調して、安全保障上の核兵器の役割縮小に積極的に取り組み、「核兵器に依存しない安全保障」への移行をグローバルな規模で進める。
 一、2015年までに、「核兵器の非合法化」を求める世界の民衆の意思を結集し、「核兵器禁止条約」の基礎となる国際規範を確立する。
16  全廃達成の約束に誠実に応えゆく道
 第1は、保有5カ国が「核兵器のない世界」のビジョンの共有を、来年のNPT再検討会議で宣言した上で、ただちに具体的な実行に向けての準備作業に着手することです。
 NPTが不平等な構造をもった条約にもかかわらず、ほとんどの非保有国が加入し、その上、無期限延長まで認めるにいたったのはなぜか──。それは、保有国に軍縮促進を約束させることを前提に、核保有の選択肢を放棄することが、自国の安全と世界全体の平和につながると考えたからにほかなりません。
 しかし、保有国が軍縮努力を長らく怠り、新たな核開発の動きもみられたことは、拡散防止の国際協力を進める上での信頼を損なう状況を招いてきました。
 ゆえにシュルツ元米国務長官らも昨年に発表した提言で、「ゼロに向かうというビジョン無しには、我々の下降スパイラルを止めるのに必要不可欠な協力を得られないであろう」(『核軍縮・平和2008』、高文研)と警鐘を鳴らしたのです。
 来年のNPT再検討会議で、保有5カ国が「核兵器のない世界」のビジョンの共有を誓約し、勇気ある行動に踏み出せば、保有国への信頼は大きく回復し、車の両輪であるはずの核軍縮と拡散防止は、相乗効果をあげながら前進を始めるに違いありません。
 その上で、保有5カ国が取り組むべき措置として提案したいのは、①一切の核開発を行わないことを約束する「モラトリアム宣言」②核能力に関する透明性の増大③最低限の保有可能数について話し合うフォーラムの設置、です。
 まず、保有5カ国による「モラトリアム宣言」を、来年の再検討会議の場で「核兵器のない世界」のビジョンと同時に誓約することを強く呼びかけたい。
 もはや他国の優位に立つこと以外に核開発競争を進める積極的な理由はなく、現状凍結の誓約は、核兵器ゼロへの“最初の自制”を示すことになります。
 それはまた、核能力の増強に終止符を打ち、戸田会長が告発していた、核保有にひそむ「勝他」の衝動をともに断ち切る作業につながっていくはずです。
 次に、実際に「核兵器のない世界」への行程表をつくる前提として、核能力に関する透明性を確保することが重要となります。
 米ソ両国による軍縮交渉以来の歴史が示すように、互いの状況が明らかでない限り、建設的な議論を進めることはできません。「モラトリアム宣言」で現状凍結を図った後、1年以内に国連の安全保障理事会で情報開示に踏み切ることを求めたいと思います。
 その上で、核兵器ゼロにいたる道程において、各国で最低限どれだけの核兵器が不可欠になると想定しているのか、一度精査し、議論の俎上に載せることが必要となってきます。
 国連事務総長も交えてフォーラムで協議を進める中で、各国が一定の水準──たとえば、最低限100発の保有が必要と判断したことが明らかになれば、それを核兵器ゼロに向けての中間目標と位置付けることができます。目標がひとたび具体性を帯びていけば、「核兵器のない世界」のビジョンは大きな求心力を生み出し、核兵器ゼロへの登頂を果たす上でのべースキャンプにすることもできると思うのです。
 こうした一連の取り組みこそ、2000年の再検討会議で合意された「核兵器の全廃を達成する明確な約束」に誠実に応える行為とはいえないでしょうか。
 かつてアインシュタイン博士は、「少しずつ進んでいるふりをし、必要な変革をあいまいな未来に先送りする余裕はない」(アブラハム・パイス著『アインシュタインここに生きる』村上陽一郎・板垣良一訳、産業図書)と訴えました。
 国際の平和と安全の維持に第一義的責任を負う安保理の常任理事国でもある5カ国のリーダーは、この警句と責任をかみしめつつ、今こそ一致して「必要な変革」に踏み出すべきではないでしょうか。
17  日本が主導して専門家の糾合を
 第2は、国連に「核廃絶のための有識者パネル」を創設し、核兵器ゼロに向けた軍縮プロセスにおいて、市民社会との協働体制を築いていくことです。
 以前、冷戦の負の遺産として旧ソ連諸国に残された核兵器の廃棄と拡散防止の措置を、各国で支援する体制がつくられました。
 その際、大量破壊兵器関連の科学者や技術者の能力を民生目的に向ける機会を提供するための「国際科学技術センター」が設置されたことがあります。
 今後、核兵器ゼロに向け、すべての保有国で軍縮が始まる段階に入った場合、それをはるかに上回る国際的なサポートが求められることは必須です。
 そこで、国連事務総長の下に設置されている軍縮諮問委員会の活動を通して、これまで蓄積された知識や経験を生かしつつ、核兵器に対象を特化した形で新たに有識者パネルを設置することを提案したい。
 そして、軍縮以外にもさまざまな分野の専門家を糾合しつつ、核兵器ゼロの達成に向けて必要となる措置について、技術的側面も含めて、国連事務総長に諮問する体制を整えるべきだと考えるのです。
 このほかにも、パネルが担うべき3つの役割を提起しておきたい。
 ①核兵器がもたらす脅威に関する報告書を定期的に発表し、多くの人々に実態を知らせて国際世論を喚起する。そして、その世論の高まりを、核兵器ゼロへの不可逆性を担保する最大の力としていく。
 ②今なお各地で、放射能汚染の被害に苦しむ人々の医療体制の充実を図る。
 ③核軍縮の履行と核兵器の禁止事項について、各国の遵守を一般市民の立場から監視し、違反を通報する「社会的検証」の制度について研究を進める。
 また、パネル設置にあたっては、国連事務総長が発起人となり、国際機関や各国の軍縮専門家、パグウォッシュ会議、核戦争防止国際医師の会(IPPNW)、国際反核法律家協会(IALANA)、拡散に反対する技術者と科学者の国際ネットワーク(INESAP)をはじめとするNGO(非政府組織)、また専門的な知識や技能を有する学術機関や平和研究機関にも広く呼びかける形で、体制づくりに着手することが望ましいと思います。
 私が創立した戸田記念国際平和研究所でも、これまでの実績や幅広い研究ネットワークをもとに全面的に協力していく所存です。
 来年、日本の主催で核軍縮会議が予定されています。同様のパネルの構想を提唱するノルウェーや核兵器解体に伴う検証研究を重視するイギリスなどと協力し、日本のリーダーシップでパネル設置を実現させてほしいと願うものです。
18  「常設作業部会」を凶NPTの下に設置
 第3は、核兵器の脅威の広がりを阻止し、低減させるための国際協力を進め、核兵器ゼロに向けての障害を取り除くことです。
 そこでまず呼びかけたいのは、来年のNPT再検討会議への各国首脳の出席です。締約国はもとより、非締約国の首脳も、オブザーバーとして招聘するなど、事実上の“核問題に関するグローバル・サミット”として開催することを目指してほしいと思います。
 その上で、各国の総意でNPTに「常設作業部会」を設け、まずは2015年までの5年間、核拡散防止に関する集中的な討議を行い、国際協力の強化を図ることを求めたい。
 そして将来的には、この作業部会をベースに、NPT体制に関する常設の意思決定機関へ発展させていくことも視野に入れるべきではないでしょうか。
 「核兵器のない世界」への環境を整えるには、核保有の理由となってきた抑止論の根拠、とくに脅威の実態を分析し、本当に必要な対応は何かを見きわめる作業が欠かせません。
 冷戦の終結により、保有5カ国の間で互いの国に対し核兵器を使用するケースは、もはや想定しにくいものとなりました。
 その結果、現在、核戦力の維持が必要とされる主な理由に挙げられているのは、①自国もしくは同盟国の生存を脅かす他の国家による核使用の抑止②核拡散につながる開発計画の阻止③非国家主体による核テロの防止(抑止)、などに限られるといえましょう。
 ①については徹底的な議論が必要となるケースであり、次の第4の項目で詳論するとして、②と③については、核兵器の使用や威嚇で根本的な解決を導けないことは、多くの専門家の指摘するところです。
 この2つの脅威に対しては、核抑止力の強化ではなく、自国の変化で他国の変化を促す2つの挑戦──「保有宣言国や疑惑国を拡散防止の枠組みに組み込む努力」や「核開発技術と核関連物質の拡散を防ぐ国際制度の整備」で臨むべきではないでしょうか。
 その最も象徴的な例で変化の兆しがみられるのが、包括的核実験禁止条約(CTBT)(=注4=)でしょう。現在、オバマ大統領は批准の意向を示していますが、もしそれが実現すれば、中国が批准に踏み切る可能性も開けてきます。
 更に米中の批准をきっかけに、インドとパキスタンの署名や批准につながっていけば、CTBTの発効へ大きな前進となるに違いありません。そして、この変化がまた、未批准のイスラエルやイラン、未署名の北朝鮮にも、新たな決断を促す環境を整えることにもなります。こうしたプラスの連鎖を突破口に、NPTの枠外にある国々を含め、すべての国を網羅した核拡散防止体制の基盤が形成できると思うのです。
 また、CTBTの発効以外にも、「カットオフ条約の早期締結」や「核燃料サイクルの国際管理の確立」「核テロ防止条約(=注5=)の批准促進」とともに、「再生可能エネルギーや省エネ技術の導入支援」「宇宙の非軍事化の徹底」などの措置が重要となるでしょう。
 とくに、高まるエネルギー需要や、地球温暖化防止などの観点から、原子力発電の施設を増設したり、新たに導入を検討する国が増える中で、核兵器の拡散や核テロの脅威が高まることが懸念されています。
 国連の潘基文パン・ギムン事務総長も、このいわゆる「原子力ルネサンス」が、世界の新たな不安材料となることへの憂慮を示しています。
 国際原子力機関による監視体制の強化だけでなく、再生可能エネルギーや省エネ技術の普及を含めた、エネルギー政策における国際協調の面からも、拡散防止の環境づくりを補強すべきではないでしょうか。
 私は、来年の再検討会議でこうした重点課題を定め、「常設作業部会」で具体的な議論を進める中で、その次の再検討会議までの5年間をかけて、大幅な前進を期すべきであると呼びかけたいのです。そのために、現在、NPTの事務局としての機能も担っている国連軍縮室の強化も必要となると思います。
19  64年で1度も使用されなかった重み
 第4は、各国が安全保障上の核兵器の役割縮小に積極的に取り組み、「核兵器に依存しない安全保障」への移行をグローバルな規模で進めることです。
 冷戦時代の考え方に終止符を打つために、安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、他国にも同様の措置を取ることを促したオバマ大統領が、最後まで考慮しなければならない事例としてあげたのは、自国や同盟国の生存を脅かす脅威への対応でした。
 しかし、この問題を考える上で忘れてはならないのは、広島と長崎への原爆投下がもたらした惨劇を前に、64年にわたって、どの国も、どの指導者も、核兵器を1度も使用できなかったという事実です。道義的な理由をはじめ、さまざまな理由があるとしても、「核使用の敷居」が相当高くなり、今や軍事的手段としては“ほぼ使用できない兵器”であるとの認識が定着しつつある側面は見過ごすことはできません。
 あえて私見を恐れずに言えば、核使用のブレーキとなってきたのは、抑止力そのものよりも、核使用に踏み出すことへの決断の重みではなかったか。実際、核の傘に依存してこなかった大半の国々も、核攻撃の対象となることはありませんでした。地域の緊張緩和や非核兵器地帯(=注6=)の設置に取り組む中で、自らの手で核兵器の使用を許さない状況をつくり出す努力を続けてきたのです。
 ゆえに、核抑止の最後の関門についても、懸念される脅威を解消することが先決で、「核兵器による対抗」が問題の本質ではないことを、しっかりと見きわめる必要があります。
 そして何より、核兵器を安全保障の手段から取り除くことは、軍縮義務を定めたNPT第6条の対象が保有国だけに限られていないように、すべての締約国に等しく課された義務であることを、常に念頭に置かねばなりません。
 かりに保有国が「核兵器の役割縮小」を通じて大幅な軍縮を図ろうとしても、同盟国が核の傘の継続や強化を望む限り、実行に移すのは難しくなります。
 その場合、結果的に、NPTの精神に反することにもなりかねず、そのことを深く考慮した上でもなお、核の傘を維持することが、安全保障上の死活的要素といえるのか──。私は10年前に行った提言でも、同様の問題提起をしましたが、今こそ、保有国と同盟国が協議を重ね、緊張緩和策をはじめとする総合的な代替案を真剣に探る必要があると思うのです。
 「核兵器に依存する安全保障」の見直しを求める声は、東西冷戦対立の最前線だったドイツでもあがり始めています。今年1月には、ヴァイツゼッカー元大統領やゲンシャー元外相ら4人が、シュルツ氏らの提言に呼応する形で声明を発表しました。
 とくに注目されるのは、「対決の時代の残滓は、我々の新世紀にあっては、もはや不適切である」として、保有国に核兵器の先制不使用に関する条約の締結を早急に求めると同時に、ドイツに配備されたアメリカの核弾頭の撤去を呼びかけた点です(ピースデポ「核兵器・核実験モニター」第321号)。
 私は、冷戦的思考が今なお払拭できず、北朝鮮の核問題が膠着している北東アジアでも、日米両国が決然たる意思を示すことで時代転換の波は十分起こせると確信しています。
 以前、ケネディ大統領のブレーンなども務めた経済学者のガルブレイス博士と対談した際、日米両国が有する特別な責任について、博士がこう語っていたことが思い出されます。
 「核兵器を使用することの意味や結果を知っているのは、日本だけです。これは、日本とアメリカにとって特別な責任であると言えるかもしれません。世界で、この2つの国だけが、核兵器を使用した戦争を経験しているからです。日米両国は、人類が再び核兵器による大量虐殺を起こさないよう、先頭に立って努力しなければいけません」(『人間主義の大世紀を』、潮出版社)と。
 先ほども紹介したように、SGIでは、広島と長崎の被爆体験の証言DVDの上映を進め、証言映像のインターネット上での公開もしています。
 「生き残った私がね、何をすることがあるかしらと思ったんです。そうした時に、このね、核のね、この悲惨さと、人間が人間を殺し合う愚かさをね、二度とやっちゃいけないって、これを伝えていく役目が私にあるために、私は今、生きているんじゃないかなと思うんです」 (広島で被爆した女性)
 こうした証言を通し、胸に迫ってくるのは、“自分たちが受けた苦しみを、これ以上、誰にも体験させたくない”との、やむにやまれぬ思いです。
 被爆国として日本が、「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」を訴える立脚点もそこにあるべきです。
 その日本が、核武装を検討したり、非核三原則を見直すようなことは道義的に許されないはずです。
 ゆえに日本は、今後も非核三原則を堅持するとともに、「永遠に核兵器を保有しない」との方針を明確に宣言することを、一日も早く望みたい。
 その上で私は、日米が協力して、北朝鮮の核問題を含む北東アジアの平和構築に臨み、6カ国協議の国々で「核不使用宣言地域」の設置を目指すべきではないかと思うのです。
 長年、私は「北東アジア非核地帯」の設置を主張してきましたが、実現を難しくしている原因は、6カ国すべてが、核を保有、もしくは核の傘の下にあるという他の地域には見られない特異な構造にあります。
 現在の膠着状況を打開するためにも、まず、「互いを核攻撃せず、大量破壊兵器に関する脅威を高める行為を行わないこと」を制度化することが重要ではないかと思うのです。
 この6カ国では、すべての国が生物兵器禁止条約に加入しており、化学兵器禁止条約も北朝鮮を除く5カ国が加入しています。
 そこで、北朝鮮に同条約への加入と、4年前に6カ国協議の共同声明で約束した「すべての核兵器及び既存の核計画の放棄」の実行を求めると同時に、他の国々は「核兵器の不使用」の誓約とその支持を表明し、次のステップを目指すべきではないでしょうか。
 もしこれが軌道に乗れば、いまだ非核兵器地帯が形成されていない南アジアや中東などの空白地域でも、事態の改善を図る際に参考とすべき一つの事例になるに違いありません。
 北東アジアでの対立構造を転換し、“どの国の人々であろうと核兵器の犠牲者としてはならない”との理念をグローバルに広げつつ、「核兵器のない世界」への挑戦の先頭に立つことこそ、21世紀における日米両国のパートナーシップの機軸に据えるべきだと、私は訴えたいのです。
20  真に対峙すべきは核を容認する思想
 第5は、2015年までに「核兵器の非合法化」の基礎となる国際規範の確立を目指し、世界の民衆の声を結集することです。
 96年に国際司法裁判所が示した勧告的意見を踏まえる形で、翌97年に核戦争防止国際医師の会(IPPNW)をはじめとする3つのNGOが中心となり、核兵器禁止条約のモデル案が起草されました。これは、国連文書として配布された後、2年前に内容の改訂を経て、NPT再検討会議の準備委員会に作業文書として提出されています。
 こうした規範の確立を求める声は、昨年10月に国連の潘事務総長が重要性を指摘するなど、次第に広がりをみせています。
 私どもSGIでも、IPPNWが進める「核兵器廃絶国際キャンペーン」に賛同する形で、核兵器禁止条約の締結を目指す運動に加わってきました。
 そこで、今回提案したいのは、「人類の生存権を脅かす核兵器を、非人道的兵器の最たるものとして禁止する」との意思表示を、個人や団体、更には自治体や国レベルで行うことを呼びかけながら、同条約の締結の基礎となる国際規範を形成することです。
 モデル案の前文が「われら地球の人民は」との一節で始まっているように、条約を単に国家間の合意ではなく、平和な地球社会を求める“一人一人の人間”の名において制定していくことが欠かせません。
 そして何より、条約締結の困難さを理由に、いたずらに時間の経過を許してはならない。世界の民衆の圧倒的な意思を結集し、条約の制定を求める国際世論を力強く喚起しながら、もはや誰にも無視できない状況を現出させることが重要ではないでしょうか。
 この点、アクロニム研究所のレベッカ・ジョンソン所長が「すべての人々に対する安全の保証」と題する論考で述べた次の言葉は、私どもが目指す方向性と響き合うものがあります。
 「核兵器の使用を非難し、非合法化していくプロセスは、勇気ある指導者が一方的措置を講じ、多国間の規範を形成するチャンスでもある。これは重要なイニシアチブであり、非保有国が──さらには市民や市民運動が──これに支持を表明し、強固な倫理規範を形成していけば、核軍縮への取り組みは確固とした足場を築くことができる」
 そこで私は、志を同じくする人々や団体、宗教界や精神界、また世界の諸大学・学術機関などが共同で、国連の諸機関とも協力して取り組む、仮称「核兵器廃絶を求める世界の民衆宣言」運動を立ち上げることを提案したい。
 核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもありません。真に対決し克服すべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという「核兵器を容認する思想」です。
 戸田会長が「(核保有の)奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」と訴え、「全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」と呼びかけたのは、その認識の共有にこそ国境を超えて民衆が連帯できる足場があり、一人一人に意識変革の波を起こし、地球大に広げる挑戦の中でしか、核時代を終焉させる地殻変動は起こせないと確信していたからです。
 96年に国際司法裁判所で勧告的意見が審理された際、40の異なる言語による約400万人の「公共の良心の宣言」が、核兵器に対する幅広い一般市民の非難の証拠とともに提出され、結論にいたる過程で考慮された経緯があります。
 今度は、この「民衆宣言」を多くの関係者と協議してとりまとめ、2015年までに国連総会へ提出することを目指し、核兵器禁止条約の交渉開始の機運を高めていきたい。同時に、前文を起草する際の最重要の参照文書とするよう働きかけていってはどうか。
 SGIとしても、現在進めている「核兵器廃絶へ向けての世界の民衆の行動の10年」の中核として、この「民衆宣言」運動を位置付け、より多くの人々や団体と手を携えながら、核廃絶への民衆の大連帯を幾重にも築いていく決意です。
21  国家のあり方をも根底から変える
 以上、5項目にわたる提案を行いましたが、最後に強調したいのは、「核兵器のない世界」への挑戦は核兵器の廃絶だけでなく、国家のあり方や国際関係のあり方を根底から変える挑戦でもあるという点です。
 かつてアインシュタイン博士は、核問題に対して各国は「黒死病の流行が全世界を脅やかしているような場合」にとる態度と同様に振る舞うべきだと主張しました。そうすれば、「重大な異議をさしはさむことなく、採るべき手段について迅速に意見の一致をみる」はずで、「自国だけが黒死病の害を免れて他国は黒死病によって多数の民が発されるというような手段をとろうと考えることはない」と(『晩年に想う』中村誠太郎・南部陽一郎・市井三郎訳、講談社)。
 この場合、倫理的にも現実的にもとるべき行動は明確かつ急務であり、自国の安全だけを追い求めることは許されないはずです。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、100年以上も前に、「他の為めにし、他を益しつつ自己も益する方法」──いわば「人道的競争」に、国家間の対立を乗り越える道があると強調しました(『人生地理学』、『牧口常三郎全集第2巻』所収、第三文明社)。そして、各国が切磋琢磨しながら、人道的な行動と世界への貢献を良い意味で競い合い、平和的な共存の精神を広げゆく地球社会の創出を呼びかけていたのです。
 私が提示した5項目の提案はいずれも、この人道的競争の理念をベースにしており、シュルツ氏らが呼びかけていた“核保有国のあり方を変化させる共同事業”と志向性を同じくするものにほかなりません。
 この国家のあり方の変化が伴ってこそ、これまで核兵器の開発や維持のために注ぎ込まれてきた多くの資金や人的資源を、環境や貧困など地球的問題群の解決のために向けていく機運も生まれるはずです。
 かつて、公民権運動の闘士であるキング博士が、「世界の権力闘争の力学を、だれも勝てないような核兵器競争から、全世界の人々の平和と繁栄を実現させるために人間の才能を管理できるような創造的競争に変えていく必要がある」(C・S・キング編『キング牧師の言葉』梶原寿・石井美恵子訳、日本基督教団出版局)と訴えたのは、そうした意味合いが込められていたと思うのです。
 こうした地球社会の創出へとつながる人類史を画する挑戦を成就させる上で、市民社会の力強い後押しが何よりも節かせません。
 その意味で、世界のNGOの代表が集い、今月、メキシコで、「国連広報局NGO年次会議」が初めて軍縮を中心テーマに開催されることは、誠に時宜を得たものです。
 このまま座して地球の脅威を看過するのではなく、私たちが生きるこの時代に「核兵器のない世界」の実現は不可能ではないことを、民衆自身の力で示そうではありませんか。
 声を上げたり、行動を起こすのは、何も特別な人間にしかできないものでは決してありません。
 “平和な生活を送りたい”“大切なものを守りたい”“子どもたちに苦しい思いをさせたくない”といった、人間としての当たり前の感情さえ持ち合わせていれば十分です。
 平和と科学の巨人として20世紀の歴史に名を刻む、かのライナス・ポーリング博士もまた、行動に踏み出す決め手となったのは「妻から変わらぬ尊敬を受けたいという私の願いでした」と、私に率直に語られていたことが忘れられません(『「生命の世紀」への探求』、『池田大作全集第14巻』所収)。
 この人間性の絆こそ、誰もが共有でき、行動の足場としていけるものではないでしょうか。
 私どもSGIは、自分たちの身の回りで人間性の絆を強めていく「対話」こそ、迂遠のようでも世界平和への直道であると信じ、人間主義に基づく民衆の連帯を広げてきました。その輪は現在、192カ国・地域に広がっています。
22  平和のパワー創出の主役は「青年」
 仏法では、「一念三千」といって、すべての人間の生命には、自らの一念の変革によって周囲や社会にも変革の波動を広げ、やがて国家や世界をも突き動かしていく無限の力が秘められていると説きます。
 その力を一人一人から引き出し、結集していくのが、SGIが進める平和運動の眼目なのです。
 人間には、物事を悪の方向にも、善の方向にも変えていく力があります。
 アインシュタイン博士が発見した質量とエネルギーに関する有名な方程式も、もともとは物理の公式にすぎませんでした。
 しかしそこに、かつてない「破壊のパワー」をもたらす兵器の青写真を見いだし、国家が総力を挙げて製造したものが核兵器にほかならず、人類は核時代の底なし沼から抜け出られなくなってしまった。
 今度は、この方程式を、一人一人の人間の生命に備わる無限の可能性に敷衍させ、民衆の勇気を起爆剤に核時代に終止符を打ち、「平和と不戦のパワー」を一緒に生み出していくべき時を迎えています。
 その最大の主役こそ、青年にほかなりません。
 どんなに素晴らしい理想も、胸に描いているだけでは夢物語のままで終わってしまう。そこに“生きた現実”としての輪郭を帯びさせるためには、自分には何もできないのではないかというた無力感やあきらめと戦い、行動に踏み出す「勇気」が必要です。
 その勇気の炎を社会に灯す熱源こそ、青年です。青年の情熱には、一人から一人、また一人へと伝播し、あらゆる困難の壁を溶かし、新しき人類史の地平を開く力が脈動している。
 私たちは、核兵器廃絶への挑戦は「戦争のない世界」の基盤をつくる挑戦であり、その未曾有の挑戦に連なっていくことが“未来への最大の贈り物”になるとの誇りをもって、ともに手を取り合い、グローバルな民衆の連帯を力強く築いていこうではありませんか。
23  注4 包括的核実験禁止条約
 部分的核実験禁止条約が対象としていなかった地下核実験を含む、すべての核実験を禁止する条約。1996年9月に国連総会で採択された。条約発効には特定の44カ国すべての批准が必要で、このうち、未署名の北朝鮮、インド、パキスタンに加え、アメリカ、中国、イラン、イスラエルなど9カ国がまだ批准を行っていない。
24  注5 核テロ防止条約
 核兵器や放射性物質を使用したテロ行為を防止するための条約で、2005年4月に国連総会で採択。2007年7月に発効し、現在の締約国は54カ国。核保有国で批准しているのはロシアだけで、アメリカ、イギリス、中国、フランスは署名のみの状態となっている。
25  注6 非核兵器地帯
 特定の地域内で核兵器の生産や保有などを禁止するとともに、議定書などを通じて核保有国にも域内への核攻撃を行わないことを求める制度。これまで、中南米、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアで、それぞれ条約が成立。今や、南半球のほぼ全域をカバーし、北半球の一部にまで非核兵器地帯が拡大している。

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