Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

各部代表協議会  

2007.12.11 スピーチ(聖教新聞2007年下)

前後
22  増上慢との戦い
 インドネシアの著名な作家プラムディヤは記している。
 「未来がこれからどうころぶか、誰にもわからない。しかしわからなくとも、なさなくてはならないことがある。
 なさなくてはならないこと、それがすなわち、闘うということだ」(押川典昭訳『プラムディヤ選集5』めこん)
 この心が、私にはよくわかる。
 若き日より私は、学会に関する悪質なデマを流す人間に、断固抗議してきた。
 しかし、最高幹部のなかには、師匠が悪口罵詈されて、傍観している者がいた。あまつさえ、喜んでいる者もいた。そうなれば、もはや悪鬼、魔物の存在である。
 皆が苦労してつくりあげた、尊き学会の上に乗って、遊んでいるようなものだ。そういう者がリーダーになった組織は、全員が苦しむ。嫌な思いをする。
 人間の心は、ずるいものである。「なさなくてはならないこと」を忘れてしまう。私たちの次元でいえば、「広宣流布のために闘う」ことを忘れるのだ。
 そして、くだらない嫉妬で徒党を組み、破和合僧の動きをして、大誠実の人をいじめ、苦しめ、喜ぶ。
 そういう増上慢と、私は一人で戦ってきた。そして、師匠と学会を厳護してきたのである。私の妻が一番よく知っている。
 戸田先生にとっての私のような存在を、「本物」を、今、私は探している。
23  生死は不二
 私たちは、三世永遠に同志であり、家族である。
 亡くなられた功労の方々に、私と妻は、朝な夕な、追善の題目を送っている。
 大聖人は、亡き父を偲ぶ弟子の曾谷教信に、こう仰せである。
 「法蓮上人(=曾谷教信)の御功徳は、亡くなられた聖霊(=父)の御財たからです。松が栄えれば柏が喜び、芝が枯れれば蘭が泣きます。こころのない草木ですら、このようなのです。
 まして情のある者はいうまでもありません。また、父子の契りの間柄も、そうなのです」(御書1047㌻、通解)生死は不二である。永遠に妙法で結ばれて、常楽我浄の生命の旅を、共に続けていくことができるのである。
 また、大聖人は、母を亡くした富木常忍に、仰せになられた。
 「我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり」ゆえに、わが身を使って広宣流布に励む功徳は、そのまますべて、父母の生命に伝わっていくのである。
24  「悪に反対しない者は悪の味方」
 結びに、古今の箴言を贈りたい。
 まず、ウズベキスタンの大詩人ナワイーの詩の一節である。
 「敵は容赦なく打ち破り、
  弱き人々を厳然と守り抜いていく人であれ。
  迫害をする者には断固として反撃を加えよ。
  民衆が安らぎと平和の中で暮らせるように」
 次に、11世紀の中央アジアを代表する哲学者イブン・シーナーの洞察である。
 「貪欲になるべからず、誇りを持つのだ」「欲望に侵されたものは、簡単に身を滅ぼす」
 「汝よ、青年を導き、年老いた者を重んじるのだ」
 「正義のために苦しみの道を選びし者は、世の喧噪を越え、幸せを知る」
 また、悪逆のナチスと戦ったドイツの作家トーマス・マンは記した。
 「悪に反対しない者、怒りをもって全力で悪に反対しない者、そういう人間は、結局、悪の味方なのだ」
 「何はともあれ、まず勝利することだ」
 来年も堂々と勝利を!──こう申し上げて、記念のスピーチとさせていただく。
 どうか風邪をひかれませんように。ありがとう!

1
22