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日蓮大聖人・池田大作
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埼玉池田研修道場
2007.5.8 スピーチ(聖教新聞2007年上)
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1
五月晴れの完勝の大埼玉、おめでとう! 皆様、ご苦労さまです。記念に和歌を贈りたい。
日本中
皆が見つめむ
憧れて
大埼玉の
栄光輝け
埼玉の
創価の全勝
祈るらむ
断固と勝ちゆけ
勝ちまくれ
また、全世界の広宣流布の前進と、研修道場の興隆の意義をこめて、地球儀を贈らせていただきたい。これは、東京の本部と、ここ埼玉にだけ置くものである。
2
皆様の祈りに包まれて、久方ぶりに、大好きな埼玉県に足を運び、念願の埼玉の研修道場を訪問することができました。
きらめく陽光も、吹きわたる薫風も、まことに、すがすがしい。
まさに、緑と光あふれる「彩の国」である。
先ほど、自然豊かな飯能の地を車で通った。
飯能は、私にとって、忘れることのできない場所である。
それは、終戦直後のことであった。日本は敗戦。惨めな焼け野原だけが残った。
「増上慢だから負けた。傲慢は、最後は滅びるのである」──これが軍部と戦い抜かれた戸田先生の叫びであった。
3
戦争は残酷だ
戦争は、本当に残酷だ。わが家は、4人の兄を次々と戦争にとられた。
また、空襲が激しくなり、住んでいた家は強制疎開で取り壊され、引っ越した先の家も、すぐまた空襲に遭い、焼け出されてしまった。
一家は皆、噴き上げる火のなかを、散々な思いで逃げ回ったのである。
終戦後、まず3番目の兄が復員した。
続いて、4番目の兄が戻り、さらに2番目の兄も帰ってきた。
しかし、長兄は戦死であった。
その悲報を受け取ったときの父と母の落胆した姿は、今も胸に焼き付いている。
戦後の食糧難のとき、私の次兄が、しばしば訪れたのが、埼玉の飯能であった。
そこに次兄の戦友がいたのである。
その方が、とても、よくしてくださり、しょっちゅう、米や野菜を分けてくださった。次兄は、持ちきれないほどの食料を抱えて、笑顔で帰ってきた。
そのおかげで、わが家は、皆、生きのびることができた。飯能の地は、わが家にとって、大恩の天地なのである。
4
狭山茶の茶畑で
約10年前、私は、埼玉の入間文化会館を車で視察させていただいた。
その折、有名な狭山茶の茶畑で、写真を撮らせていただいたことも、忘れられない。〈1996年1月28日〉
5
かつて、“関八州を制する者は、日本を制す”といわれた。
なかんずく、大事なのが埼玉である。
埼玉は、ますます発展していく。これからが本番である。
一段と鉄桶の団結を固め、師弟直結の常勝埼玉を築いていただきたい。
同時に、神奈川、千葉も大事だ。埼玉、神奈川、千葉で、首都圏を支えていくのである。
6
心が通い合ってこそ異体同心!
リーダーは、どこまでも、同志のことを祈っていくのだ。
具体的に祈り、誠実に尽くしていけば、必ず反応がある。仏法は「依正不二」なのだから。
とにかく、祈る。
そして、感じよく接していくことだ。
自分の「大きい心」ができあがっていけば、自然と「大きい結果」が現れてくる。
大事なのは、心の奥で本当に信頼し合えるかどうかである。
「あの人は好きだ」
「あの人となら一緒にやっていきたい」となっていかなければ、本当の異体同心ではない。
権力でも、権威でも、組織でもない。
人間としての心が通じ合うかどうかである。
偉大な御仏意のままに、本当の人間の絆を、学会のなかにつくってきたのが、牧口先生であり、戸田先生であり、その直系の弟子の私である。
7
清朗な心で偉大な目的へ
ここ大埼玉の「福徳と人材の城」で、私は、広宣流布のために奮闘される、尊き埼玉県の全同志に、真剣に題目を送らせていただいた。
またいつも、皆様方のご健康とご多幸、勝利と栄光を祈り続けている。
埼玉は、本当によく戦ってこられた。
そして、見事に勝ち抜いてこられた。
なかんずく埼玉の婦人部、女子部の皆様方は、あまりにも健気である。日蓮大聖人が、どれほど讃嘆しておられることか。
御聖訓には仰せである。
「女性の身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、大梵天王も天眼をもって御覧になり、帝釈天は合掌して(あなたを)礼拝され、地神(大地の神)は、御足を大切に押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう」(御書1394㌻、通解)
ありとあらゆる仏菩薩も、諸天善神も、必ず必ず、皆様方を讃えに讃え、護りに護る。
研修道場も立派に荘厳してくださり、地元の皆様方、共栄会(守る会)の皆様方をはじめ、運営に当たってくださっている方々に、厚く厚く御礼を申し上げたい。
アメリカ・ルネサンスの思想家エマソンは語った。
「清朗な心と偉大な目的をいだいて仕事をすれば、時代はつねにそのひとのものになります」(酒本雅之訳『エマソン論文集(上)』岩波文庫)と。
新時代を開きゆく、わが埼玉同志の晴れ姿を示すような言葉である。
8
迫害の渦中に歩まれた道
埼玉は、日蓮大聖人が、戦う魂を刻まれた天地である。
ご存じの通り、埼玉を通る鎌倉街道の上道(上ノ道)は、日蓮大聖人が佐渡流罪の際、往復なされた宿縁の道である。
「上道」の碑も立っている。
相模国(=現在の神奈川県の大部分)の依智を発ち、佐渡に向かわれたのは、文永8年(1271年)10月10日である。
大聖人は、武蔵国・久米川に立ち寄られたと仰せである。〈御書には「武蔵の国久目河の宿」(951㌻)と記されている〉
そして、この埼玉で、一歩また一歩、歩みを重ねられた。
約2週間歩まれ、10月22日には越後(現在の新潟県の大部分)の寺泊に着かれていたのである。
新暦では、11月20日から12月2日にかけてとなる。
大聖人は、その道のりの厳しさを、次のように記されている。
「鎌倉を出発してから、日々に強敵が加わってくるようであった」
「野を行き、山を行くにも、かたわらの草木が風に吹かれてざわめくかすかな音も、敵が私を責めているのではないかと思われた」(同1052㌻、通解)
しかし、「寺泊御書」では、「もとより覚悟の上なので、今初めて嘆くべきことでない」(同951㌻、通解)と、悠然と仰せになられている。あの忘れ得ぬ「川越地区講義」で、埼玉の同志と学んだ御聖訓である。
そして大聖人は、足かけ4年の、命にも及ぶ佐渡流罪の大難を勝ち越えられて、再び鎌倉へ向かわれた。
その道中は、文永11年(1274年)3月13日から26日である。
新暦では、4月28日から5月11日。
今と同じ、新緑輝く季節のなか、大聖人は、この道場にほど近い道を歩まれ、鎌倉へと向かわれた。
御書には、「鎌倉へ打ち入りぬ」と表現されている。
それはまさしく、3度目の国主諫暁へ、まっしぐらに進まれる大闘争の歩みであられた。
ともあれ、末法の御本仏であられる大聖人は、法難のゆえに、そしてまた法戦のために、山野を越えて進み続けられたのである。
仏法では、仏道修行の際に「歩く」ことが「経行」として説かれている。
大聖人は、「一切衆生が法華経を誹謗して(不幸の道を)流転するのを見抜いたゆえに、(それをとどめるために)日蓮が日本国を経行して(歩いて)南無妙法蓮華経を弘通している。これは釈尊と同様である」(同816㌻、通解)と述懐なされた。
皆様方が、広宣流布のために、労苦を厭わず、歩き、動くことは、この御本仏の「経行」に、そのまま、つながっているのである。どれほど尊い歩みであるか、計りしれない。
9
仏と同じ力を
大聖人は、「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(同1418㌻、通解)と振り返っておられる。
人と会い、人と語り、妙法の仏縁を結ぶ──これまた、皆様方が、毎日毎日、たゆみなく実践されていることだ。
学会活動は、御本仏の御振る舞いに、すべて完壁に直結しているのである。
戸田先生も、よく言われた。
「仏の仰せ通りに行動すれば、仏の使いです。仏の使いは、仏と同じ力を発揮できるのです」
この大確信に燃えて、広宣流布の一つ一つの戦いに、喜び勇んで飛び込んでいくことだ。そして思う存分に、わが生命の偉大なる仏の力を発揮していくことである。
それが、自分自身の永遠不滅の「人間革命」の勝利と栄光の歴史となっていくからだ。
戸田先生は、「広宣流布は、信頼と友情の対話から広がる」とも教えてくださった。
どうか、蓮祖の歩まれた有縁の大地で、「希望の街道」を、「幸福の街道」を、そして「勝利の街道」を、明るく朗らかに、歩み、語り、進んでいっていただきたい。
10
苦悩があるから偉大になれる!
ドイツの哲学者ライプニッツは記した。
「苦悩はより大きな完全性への近道」(米山優訳「事物の根本的起源について」、『ライプニッツ著作集8』所収、工作舎)と。
苦悩といっても、自分の小さなエゴのための苦悩ではない。
もっと大きな苦悩、公のための苦悩のなかにこそ、偉大な人生がある。
我ら創価の前進は、人類のため、世界の平和のためである。
大聖人は、「
さいわいを万里の外よりあつむべし
」と仰せになられた。
折伏にせよ、友好の拡大にせよ、我々の広布の活動は、苦難の道であっても、一切が自身の崩れざる幸福の土台となっていることを忘れてはならない。
11
私も、着き日から、この埼玉の天地を走りに走ってきた。
戸田先生の事業の苦境を打開するために!
大仏法の生命哲理を、真剣な埼玉の同志と共に学ぶために!
悪意と虚偽の報道を糾し、師と学会の正義を護り抜くために!
そして、愛する埼玉の同志に勝利の力を贈りゆくために!
それは「師弟の道」であり、「行学の道」であり、そして「仏法勝負の道」であった。
今回で、埼玉への訪問は66回を数える。
「6」には「具足」の意義がある。
宿縁も深き埼玉の全同志が所願満足であるように、そして、広宣流布の要衝・埼玉の拡大と勝利が無量無辺に開けゆくように、私は真剣に強盛に祈り続けている。
12
創価の師弟に世界が注目!
今、世界の知性が、創価の行動を正しく、また深く鋭く見つめ、評価してくださっている。
先日(5月5日)、
易明
い・めい
副院長をはじめ代表をお迎えした中国の天津社会科学院では、『中日関係における周恩来と池田大作』という研究書を発刊なされた。
歴史文献に関して権威を持つ中央文献出版社からの発行である。
光栄なことに、そこでは、戸田先生と私の師弟の歴史や、「戸田大学」の意義についても大きく光を当ててくださっており、感謝に堪えない。
〈同書には、次のような一文がある。
「(戸田会長の事業が破綻するという)逆境のなか、多くの人が、生活のために、戸田会長と創価学会から去っていった。しかし、池田大作は学業を断念して、戸田会長に付ききって、常随給仕し、共に苦難を乗り越えていった。
池田大作は戸田会長と『師弟不二』の深遠なる絆を築いたのである。
大は事業から、小は身辺の細々としたことまで、池田大作は全身全霊を注いで、恩師を支え抜いた。それは、まさに不惜身命の域に達するものであった」〉
13
「必ず勝利してお応えします」
事業の窮地を切り開くために、先生と二人して埼玉の地を駆けずり回ったことも忘れられない。
その悪戦苦闘の日々のなか、私は申し上げた。
「私がすべてやります。先生は、お体をお休めください。私が断じて苦境を打開します。そして絶対に、先生に会長になっていただきます!」
「何があっても、勝ってみせます。必ず勝利して先生にお応えしてまいります!」
そのときの先生の会心の笑顔を、私は、きのうのことのように思い起こす。この師弟の苦闘のなかに、今日の学会の大発展の因が一切、刻まれていたのである。
先生は、青年部によく言われた。
「広宣流布は、言論戦なのだから、語りまくれ!」
「我々は正しいのだ。ゆえに、ありのままに真実を叫べ!」
「本当の仏法は、社会での大闘争にある。社会で勝負する。それが本当の革命ではないか。これが創価学会なんだよ」
「戦うんだったら、断じて勝て!」
その通りに、私たち青年部は、語り、叫び、戦い、そして勝ってきた。
この学会精神の真髄を、埼玉青年部は、厳然と受け継いでいただきたい。
14
師弟が根幹
師弟こそ、仏法の根幹である。真実の人間性の極致である。
わが戸田先生は、仏法の上からも、人生の上からも、師弟の関係こそ、一つの正しい生き方の規範であることを厳しく教えられた。
この人間の根本のつながりを疎かにして、真実の社会の繁栄、発展はない。それどころか、平和もなく、調和もない、畜生以下の無秩序の社会になりかねない。
学会の「師弟の世界」こそ、本当の「人間性の世界」であり、真の「異体同心の世界」である。
この麗しい学会を乗っ取ろうとか、自分の欲望のために利用したり、壊そうとする悪い人間が出たならば、徹して戦え!
叩き出していけ!──と恩師は厳しかった。
異体同心でなければならない。その根幹が師弟である。だから、師弟を叫んでいくことが大事なのである。
広宣流布とは、一面では、権力の魔性との壮絶な闘争である。
魔性との戦いが、本当の信心の姿、学会の姿、広宣流布の姿である。
アメリカの女性作家パール・バックのお母さんの言葉を、埼玉の友に贈りたい。
「なにが起ころうと、立ち向かうよりほかに道はないのです。そう決心した瞬間、心はすっかり平静になった」(パール・バック著・木村治美訳『娘たちに愛をこめて』三笠書房)と。
我らも、断じて恐れてはいけない!
15
男性が立て!
きょう参加しておられる、平川主任女性部長、小熊関東婦人部長も、一番大変なところへ、よく通っていかれた。
ナポレオンが、人生の晩年に、こう語ったことがある。
「私は、女性と十分に対話できなかったことを後悔している。女性からは、男たちがあえて私に語ろうとしない多くのことを、学ぶことができる。女性には、まったく特別な独立性があるのだ」(『波瀾万丈のナポレオン』潮出版社から)
天才ナポレオンも、わが人生を振り返り、女性の智慧に学ぶことができなかったことを反省したのであろう。
男性幹部は、絶対にそうなってはいけない。女性に学び、女性を尊重していくことだ。
私は女性を大事にしてきた。大阪の戦いも、女性が力を発揮して勝利した。そういう学会に変えてきたのである。
広布前進の原動力は、女性である。
婦人部、女子部の皆さんが、一生懸命やってくださっているから、学会は勝ってきた。それを男性諸君は絶対に忘れてはならない。
また女子部の皆さんは、活動で帰宅が遅くなることのないよう十分に注意してもらいたい。
周囲の幹部も、常に無事故を呼びかけ、大事な女子部を守るため、よくよく配慮していただきたいのである。
ともあれ、今こそ、男性が勇敢に立ち上がる時ではないだろうか。
男性の皆さん、どうだろうか!〈「はい!」と会場の壮年・男子部から力強い返事があった〉
16
この5月の3日「創価学会の日」を、アレキサンダー大王との縁も深き、欧州マケドニアの最高峰の知性の方々も祝福してくださった。「オホリッド・ヒューマニズム・アカデミー」の一行である。
光栄にも、マケドニアのグルエフスキ首相からは、丁重な招聘をいただいている。
今回、来日された同アカデミーのプレヴネス会長は、若き日、ロンドンの書店で、歴史学者のトインビー博士と私との対談集を、たまたま手にされた。
そして対談集を読み、深い感銘を受けたことが、SGI(創価学会インタナショナル)の存在を知った最初であったと述べておられた。
『生命を語る』のマケドニア語版が出版された際には、著名な小説家でもあられるプレヴネス会長が、まことに格調高い序文を寄せてくださった。
〈マケドニア語版の『生命を語る』は、出版以来、各界で大きな反響を呼び、ベストセラーとなっている〉
17
創価の対話運動は歴史つくる力
会長は、その序文のなかで、私たちが進めてきた対話の運動に、世界の歴史をつくり変えていく力があると讃えてくださっている。
〈プレヴネス会長は序文で、現代世界において世界平和に貢献した人物として、「池田氏に比肩し得る人物は、まず見当たらない」と述べる。
さらに「(池田氏と世界の数多くの指導者たちとの会談は)現代のすべての人々にとって参考になる重要な出来事であり、これを知らずして現今の世界史の再構築は考えられない」と評価している〉
2300年前、アレキサンダー大王が人類融合への扉を開いたごとく、私たちの行動が、壮大なる人類史の新たな扉を開きゆくことを、大王ゆかりの地の知性が期待し、信頼してくださっているのだ。
18
師弟不二で立て
アレキサンダー大王は「いかなる急場にもみずから艱難辛苦を引き受けて味方を励まし助けることを常としていた」という(鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝6』潮文庫)。
ここに、指導者の要諦があるといえよう。
19
若き日、私は弟子として、師匠である戸田先生に徹して仕えた。
戸田先生の事業は破綻し、膨大な負債を抱えた。先生は学会の理事長を辞任。明日をも知れないという、絶体絶命の状況だった。
多くの人間が先生のもとを去っていくなかで、私がただ一人、先生を守り抜いた。
厳しい闘争のなかで、真夜中に戸田先生から呼び出されたこともあった。私は、飛ぶようにして駆けつけた。
師匠を守る。師匠のために、わが身を捨てて戦う。そうしてつくりあげたのが、今の創価学会である。
私は、働いて働いて、働き抜いた。戸田先生の借金も、すべて返した。折伏でも、どんな拡大の戦いでも、すべて最高の結果を残し、広宣流布の道を切り開いてきた。
牧口先生、戸田先生は、軍国主義と戦って牢獄まで行かれた。
私も、無実の罪で牢獄へ行った。想像を絶するほどの迫害と中傷を受けてきた。ありとあらゆる悪口を浴びてきた。
牧口先生、戸田先生の後を継ぎ、私が一人、すべての矢面に立って戦ってきた。
一切をなげうって、学会を守り、尊き同志を守り抜いてきた。そして、ここまで学会を発展させたのである。
御聖訓には、こう仰せである。
「良い弟子をもつならば、師弟は、ともに成仏し、悪い弟子をたくわえるならば、師弟は、ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成し遂げることはできない」(御書900㌻、通解)
仏法の根本は「師弟」だ。真実の弟子であるならば、師匠のために体を張ってでも戦うのだ。師の勝利を祈り抜いていくのだ。
それを、敵に対して本気になって戦わない。見て見ないふりをする。そんな情けない弟子、ずるい人間であっては絶対にならない。
大きく心を開いて、本当の高次元な創価学会の精神に立って戦うことだ。「師弟不二」で戦いきることだ。
「師弟」がなくなったら、学会は壊されてしまう。
幹部が先頭を切って、師匠の正義を訴える。師の真実を、日本中に叫び抜いていく。そういう埼玉をつくってもらいたい。
師弟直結の大埼玉を、皆さんの力で断じて築いてもらいたい。
20
悪を打ち破れ
戸田先生は恩知らずに対しては、それはそれは厳しかった。こう指導しておられた。
「ひたすら現在の世相を見るに、人の道たる知恩・報恩の者が、ごく稀である。ここに、社会の乱れが生ずるのである」
「恩を報ぜぬということは人間の特権を放棄し、禽獣に同ずることである」
そして先生は、学会の大恩を踏みにじり、和合僧に弓を引く人間とは、徹底して戦えと厳命されたのである。これまでも、学会のおかげで社会的な地位を得ながら、傲慢になり、ついには反逆していった人間がいた。
ゲーテは述べている。
「愚昧な、狭量の連中こそ、だれよりも威張りたがる」(生野幸吉訳「西東詩集」、『ゲーテ全集2』所収、潮出版社)
愚かな人間に限って、すぐに威張り散らし、人を見下すものだ。こうした人間を絶対に許してはならない。
イタリア・ルネサンスの大詩人アリオストは叙事詩で綴った。
「ああ、哀れなるかな、邪悪な輩に長きに渡り、唆されて、苦しみに引きずり込まれる者たちよ」(脇功訳『狂えるオルランド(上)』名古屋大学出版会)
悪は放置すれば増長する。皆、だまされてしまう。悪人と戦わなければ、学会が破壊されてしまうのだ。
「破邪顕正」といっても、あくまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。
それでこそ「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らかにし、宣揚することができるのである。
「破邪」が根本であり、その次が「顕正」だ。この方程式を、深く胸に刻んでいただきたい。
戸田先生は、こうも言われていた。
「忘恩反逆の提婆達多は、一切の悪人を集めても、釈尊の仏法には敵わないという証拠を残して、仏罰を受けて死んだ」
日蓮大聖人の正統である創価学会に仇をなした、提婆のごとき輩が、哀れな末路をたどっていることは、皆様がご存じの通りだ。
「正義の埼玉創価学会は、すべてに勝った!」と申し上げたい。
21
困難は事業の基礎を強固にする
今、私が対談を進めている中国の大歴史学者・
章開沅
しょう・かいげん
先生は、埼玉出身で、近代日本を代表する実業家の渋沢栄一氏を高く評価し、研究を深めておられる。
中国の文明に深い敬愛を抱いていた渋沢氏が、中国との交流を積極的に進めていたことも、よく知られる。
この渋沢氏の有名な言葉に、「社会からよき待遇を受ければ、それだけ、己れの責任を自覚しなければならない。
その責任をつくさなければ、名誉はかえって不名誉となり、尊敬はかえって軽蔑を受くるのもととなる」とある(渋沢青淵記念財団竜門社編『渋沢栄一訓言集』国書刊行会)。
また、渋沢氏は語っている。
「世の中の事はすべて心の持ちよう一つでどうにでもなる」(同)
「人は消極的に悪事をなさぬというだけでは、物足らないのである。積極的に多く善事をなさねば、人たる価値はない」(同)
いずれも、大事業を成した人物ならではの、重みのある言葉だ。
さらに彼は、「困難の時には、かえって事業の基礎を強固にし、得意の時には、多く腐敗の因を醸すものである」(同)と戒めていた。
これは歴史の鉄則だ。リーダーは、絶対に油断禁物である。
22
「足元から努力していくのです」
この研修道場の近辺には、「
高麗川
こまがわ
」の清流が流れる。
「高麗」という名前には、奈良時代に高句麗から多くの渡来人が移住し、優れた文化を伝えてくれた歴史が留められている。
「文化大恩」の国である、お隣の韓国でも、わが同志が最高に晴れ晴れと「5月3日」を祝賀してくださった。
〈韓国を代表する言論団体である「韓国雑誌協会」からは、5・3「創価学会の日」を記念して名誉会長夫妻に「特別顕彰牌」が贈られた。また先月、韓国SGI初の墓地公園となる「平和公園」が開園した〉
今年の3月、創価学園の卒業式には、韓国最大の芸術の大城である「韓国芸術文化団体総連合会」の
李城林
イー・ソンリム
会長をお迎えすることができた。
李会長は、師匠を最大に大切にされ、報恩の人生を貫いてこられた。韓国伝統の「国楽」の女性歌手、また舞踊家としても大変に著名である。
この李会長は語っておられる。
「本当の勝利、それは、自分自身との戦いに勝った人にこそ、訪れる」と。
まことにその通りである。
学会も常に、全国、全世界を晴れ舞台にして、婦人部、女子部の清々しい勝利から、勝利また勝利の勢いが加速している。
また、18世紀から19世紀にかけて生きた女性詩人で、書画家でもあった
姜静一堂
カン・ジョンイルダン
は述べている。
「先ばかり求めていては、徒労に終わってしまいます。まずは、足元から努力していくのです」
万般に通じる道理だ。千里の道も一歩からである。その一歩また一歩を、着実に“誠実に積み重ねていく人生が、最後は必ず勝つのだ。
23
闘争糧神を受け継げ!
次に、青年部に贈りたい。韓民族の独立の指導者・
呂運亨
ロ・ウニョン
の叫びである。
「倒れてもまた起き上がって闘う闘争精神は、青年が受け継がなければならない精神である」
うれしいことに、不撓不屈の学会精神を厳然と受け継ぐ、わが埼玉青年部の活躍も、まことに目覚ましい。
呂運亨は、厳しく戒めてもいる。
「有利な時には正義を口にし、不利な時に裏切るとはとんでもない」
大聖人の滅後、日興上人の時代には、五老僧がいた。彼らは高弟でありながら、肝心な時に、愚かにも権力を恐れ、権威におもねった。そして、師が打ち立てた正法を歪め、踏みにじった。
次元は異なるが、牧口先生、戸田先生の時代も、卑劣な背反者が出た。
ゆえに、戸田先生は晩年、繰り返し、“第三代を中心に団結せよ”と語ってくださっていた。
「第三代は、第二代よりも、もっと大きな仕事をするよ。いいかい。みんなで、第三代を大事にするんだぞ!」と。
これは当時の最高幹部がよく知っていることである。
この戸田先生の遺言のままに、第三代の推戴に、真っ先に立ち上がり、声を上げたのが、埼玉青年部であった。
24
忍耐で勝て! 執念で勝て!
民族独立の闘士として戦った大詩人・
韓龍雲
ハン・ニョンウン
は「私が望む青年とは、持久力のある青年である」と綴っている。
青年よ、忍耐で勝て! 執念で勝て! というのである。
20世紀の作家・
沈熏
ノム・フン
は強調した。
「みんなが一つの心、一つの志で、その力を一カ所に集めさえすれば、どんなことでも成し遂げることができる」と。
団結は美しい。団結は楽しい。そして団結こそ力だ。
「異体同心」こそ、絶対勝利の法則である。
「鉄桶の埼玉」の団結は、今や世界中に轟いている。「
異体同心なれば
か
勝
ちぬ
」である。
「鉄桶の埼玉」が勝ち抜いていくことが、仏法の御聖訓の証明なのである。
25
原点を忘れるな
東欧チェコの大統領を務めたハベル氏は、その就任演説で述べている。
「常に同胞の国民とともにあり、国民の声に熱心に耳を傾ける大統領になりたい」(井上一馬編著『後世に伝える言葉』小学館)
バベル氏は、チェコの民主化を実現した「ビロード革命」の立役者であった。大統領として来日したハベル氏と、東京の迎賓館で語り合ったことが懐かしい。〈1992年4月〉
民衆と共に! 民衆のために!
この原点を忘れてしまえば、もはや指導者の資格はない。
リーダーは、皆の意見をよく聞いていただきたい。そして、皆から好かれる存在であってもらいたい。
人の心がわからない。わがまま。そんな人間が指導者だったら、皆、どれほど嫌な思いをすることか。
道理に合わないことで叱られ、文句を言われる──それでは、何のための組織かわからない。
皆さんは、本当の人間性が輝く、慈愛のリーダーであってもらいたい。そして、異体同心で進んでいただきたい。
ナチスと戦った、イギリスの首相チャーチルは言った。
「問題は不屈の忍耐をもってすれば解決されるものと確信しています」(毎日新聞社翻訳委員会訳『第2次大戦回顧録19』毎日新聞社)
「何はともあれ、勝利を勝ち取らねばならない。勝利こそ、われわれの成し遂げるべきことである」
この決心で戦い切ることだ。
また、フランスの思想家ヴォーヴナルグは述べている。
「勇気の極限は、危難にあって大胆不敵であることである」(内藤濯訳『省察と箴言』創元社)
大変な戦いの時こそ、勇気を出して、大胆に行動するのだ。
26
はつらつと! 理想を胸に!
今月の5日、私は中国・天津社会科学院の先生方を創価大学にお迎えした。
天津は首都・北京から近く、「北方経済の中心」として発展を続ける都市である。
一行は、天津が、周恩来総理が立ち上がった革命の原点の地であり、北京と一体となって、中国の発展の原動力となっていることを、大きな誇りとしておられた。
また、明年の北京オリンピックの最初の競技も、天津から始まる予定とうかがった。
今、埼玉も、首都・東京に隣接する都市圏として、その存在に大きな注目が集まっている。
わが埼玉は、広布発展の原動力である。創価学会の前進にとって、そしてまた、日本全体の前進にとって、どれほど大事な天地であるか。
埼玉の勝利が、全首都圏の勝利であり、全学会の勝利である。
その埼玉の誉れの同志に、周総理が天津の青年たちに語った言葉を、贈りたい。
「青年は、困難を恐れてはならない。より多くの困難に挑み、それらを克服する力を培っていくべきである」
「間違ったことには、勇気をもって対峙し、厳然と正していきたまえ」
さらにまた、周総理は訴えた。
「人間は理想を持たねばならない。理想なき生活は、進むべき道が見えなくなる。
人民の中に入って、戦って、学んでいくことだ。そこにこそ、人生の意義がある」
若き日、天津で活躍した
鄧穎超
とう・えいちょう
夫人が、友人に贈った詩には、こう認められている。
「あなたよ!
煩悶や苦悩の魔を、毅然と打ち払うのだ。
はつらつとして、努力し奮起するのだ。
私は信ずる。
これから、あなたが必ずや、日に日に進歩し続けることを!
そのあなたの姿を、私は何よりの喜びとする。
あなたの前途に祝福あれ!」
青年部の皆さんが、すべての先頭に立って、勝利への道を切り開いていただきたい。
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最後に、敬愛する埼玉の皆様に和歌を贈りたい。
素晴らしき
広布の大王
埼玉と
蓮祖の誓約
嬉しく果たさむ
偉大なる
わが埼玉は
広宣の
堂々進まむ
止まることなく
鉄桶の
全埼玉の
団結は
楽しく
幸福
さち
あれ
仏のスクラム
威風も堂々と、勇気と希望の大前進を! 「賢者のスクラム」が即「仏のスクラム」である。
偉大なる常勝埼玉、万歳! どうか、お元気で! 埼玉の全同志の皆様にくれぐれも、よろしくお伝えください。
きょうは、本当にありがとう! また、お会いしましょう!
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