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日蓮大聖人・池田大作

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第1回三重県総会 ”信仰の勇者”即”生活の勇者”

1974.10.6 「池田大作講演集」第7巻

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4  災難に対する姿勢
 次に、現在の日本について、ひとこと申し上げてみます。いままで高度経済成長路線を走らされてきた日本の運命というものは、はたしてどういうものであったでありましょうか。自由世界第二の経済大国ということにはなりましたが、国家レベルでながめれば、よそからみると、日本の国はたいしたものにみえるでありましょう。
 では、先進国間の国民生活というレベルで比べてみるとどうでしょう。それは、字や詳しい説明つきで申し上げるわけにはいきませんが、おおづかみのところ、次のようになっているようであります。
 着る物、食べる物と、教育の普及、この三つが世界一流。居住、厚生、福祉、その他のすべては最下位。中身についていえば、医学は世界の最先端をいきながら、医療の実態は国民に行き渡らないという点では、はなはだお粗末。テレビの普及率は世界一でありますが、レジャー全体としてはまったくなっていないというふうに、まことに奇妙な分裂構造になっている。
 「衣食足りて礼節を知る」といいますが、わが社会は教育が普及し、衣食が世界一流でありながら、礼節を知ったかどうかとなると問題がある。なんとも皮肉な姿であるのが、日本の現状であります。
 そこへ、ドカンと大災難……インフレという大難がやってきて、国民生活は一大衝撃を受けつつあるというのが現状であります。しかも、この衝撃は過去のような一時的なものではなくて、本源的な恐ろしさをもったものであることは、新聞でご覧のとおりであります。これに対して、私は外交、政治、経済の面から提言をする時間もなければ、そのつもりもありませんが、大聖人ご在世の大難を振り返ってみたいと思うのであります。
 いまからちょうど七百年前、文永十一年十月に蒙古の第一回来襲があった。それに先立つ六年前に、蒙古国より幕府に対する牒状がきたとき、日蓮大聖人は幕府と各宗派へ十一通の御状を出して、公場対決を求めておられます。そのうち平左衛門尉への御状の一節にふれてみたい。
 それは「夫れおもんみれば一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理・諸天善神の威食なり之を信受するに於ては何ぞ七難来り三災興らんや、剰え此の事を申す日蓮をば流罪せらる争でか日月星宿罰を加えざらんや、聖徳太子は守屋の悪を倒して仏法を興し秀郷は将門を挫いて名を後代に留む、然らば法華経の強敵為る御帰依の寺僧を退治して宜く善神の擁護を蒙るべき者なり、御式目を見るに非拠を制止すること分明なり、争でか日蓮が愁訴に於ては御叙い無らんあに御起請の文を破るに非ずや、此の趣を以て方方へ愚状を進らす、所謂鎌倉殿・宿屋入道殿・建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏殿・長楽寺・多宝寺・浄光明寺・弥源太殿並びに此の状合せ十一箇所なり、各各御評議有つて速かに御報に預るべく候、若し爾らば卞和べんかあらたま磨いて玉と成り法王髻中の明珠此の時に顕れんのみ、全く身の為に之を申さず、神の為君の為国の為一切衆生の為に言上せしむるの処なりくだんの如し」と申されております。
 ただいまの御文の前半分は災難興起の根本原因を示された部分であり、後半は大聖人の行動目的を示された部分であります。
 以上について、私がいま申し上げたいことは、我々はこういう難多い現在に生きる信仰者として、この大聖人の原点を、しっかりとわが信心のなかに確立していきたいという点であります。これしかもうない。三重の全員がそうあってほしいというのが、私の願いであります。行動の路線はこの原点から決して遊離することなく、しかも現代とマッチした方法で路線を敷き、活動の分野を拡大していっていただきたいのであります。
 三重県下の一般的気風は、資性温厚な点が中心で、そのうえに県北、中央、県南の差が生じているそうでありますが、結構なことであります。そうした県民性のなかに大聖人のおおいなる精神原点を内蔵していってくだされば、うれしいことであります。
 ともかく、広宣流布という大業は、いまや世界化して、はなはだ息の長いものになっておりますから、三重においても、うまずたゆまず、仲良く堅実に進んでいっていただきたいことを、お願い申し上げます。
 それをつうじて子々孫々にいたるまで、大果報を得ていただくならば、これにまさる喜びはありません。ただいままでの私の話が、皆さまの信心のエネルギーとして、それぞれの一念のなかで多少なりともカロリー化していただければ満足でありますけれども、よろしいでしょうか。(大拍手)
 では、三重県下の親愛なる全学会員の方々のご健在を、心からお祈り申し上げまして、私の話を終わります。(大拍手)

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